『もうぬげない』の書評とサクッと解説|ふくがぬげないだけで、ほかはかわらない

もうぬげない(ヨシタケシンスケ著) Amazonほしい物リスト2021
もうぬげない(ヨシタケシンスケ著)

もうぬげない』はヨシタケシンスケさんの絵本。ヨシタケシンスケさんの本は、1年前に『おしっこちょっぴりもれたろう』を読みましたが、こちらもやはり、大人が読んでも爆笑できますね笑

ヨシタケシンスケさんが描く子どもやシチュエーションが、想像できすぎて、あるあるな感じがとてもい愛おしいと感じるのではないでしょうか。

わたしは子どもはいないのですが、姪っ子の動画が姉からめっちゃ送られてきます。なんでそんなことで面白いのかわからないけど、おんなじことを繰り返して楽しんで、たまにびっくりしたり、大人から見ると意味不明で不思議な状況なんだけど、本人が楽しんでるからこっちも楽しいという。

そんな暖かい感じで読めるのがヨシタケシンスケさんの魅力でしょうか?

今回のシチュエーションは、服を脱ごうとしたら、まったく脱げなくなるというもの。

お母さんに急かされて服を脱ごうとしたら、何をしても脱げなくなり、もう脱げなくてもいいんじゃないかという考えに至ります。

でもそのままだと困ることもあるので、やはり脱ごうとがんばります。なぜかズボンから脱ごうとした結果、ズボンも脱げなくなるという…

『おしっこちょっぴりもれたろう』でも思ったのですが、ヨシタケシンスケさんの本は、読み手(子どもにも大人にも)に家族というものの安心感を与えるものであったり、何気ない日常の課題を切り取った末に、そこにメッセージ性があるなと思います。

「ふくなんか ぬげなくたって えらくなったひとは たくさん いるさ」
「だって ふくがひっかかってるだけで ほかのひとと なんにもかわらないんだから」

すごくないですか、これ。

ところで、もれたろうのときもですが、お母さんのこどもへの扱いが最高ですねw
お母さん、面倒くさいなと思いながら愛おしいんじゃないですかねー。ぜひご覧ください。

Bitly

著者:ヨシタケシンスケとは

ヨシタケシンスケさんは、イラストレーターで絵本作家。1973年神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。卒業後はサラリーマン生活をしていたよう。絵本作家としてのデビューは40歳。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチ集や、児童書の挿絵、装画、広告美術など、多岐にわたり作品を発表。

2015年、第8回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞を受賞。主な著書に、スケッチ集『しかもフタが無い』(PARCO出版)、『結局できずじまい』『せまいぞドキドキ』(講談社)、『そのうちプラン』(遊タイム出版)、挿絵の仕事に「レッツ・シリーズ」(文・ひこ・田中/そうえん社)、『トリセツ・カラダ』(文・海堂尊/宝島社)、絵本では『りんごかもしれない』『ぼくのニセモノをつくるには』(ブロンズ新社)などがある。2児の父。

●動画

●インタビュー記事
絵本作家 ヨシタケシンスケ – コピック公式サイト(コピック)
シタケシンスケさんに聞く、想像力のはばたかせかた。言葉を超えた感情をコレクションして、世界をもっとおもしろがってみる(DIVERSITY IN THE ARTS TODAY 2021.06.29)

本の内容と感想

『もうぬげない』
どうしてもぬげない…

もうぬげない、ぜんぜんぬげない

ぬげなくなったのは、お母さんが服をぬがそうと急かして引っ張ったからではあるんですが、そこがこどもの意地。「自分で脱ぐ」と奮闘するも、全然脱げません。

1ページ目が秀逸。ここから腹を抱えざるを得ません笑

ぼくのふくが ひっかかって ぬげなくなって
もうどのくらいたったのかしら

『もうぬげない』

ぼうぜんと立ち尽くすこども。放置されたぬいぐるみ…。もうぬげない危機感がシュールに描かれる最初のイラスト。

「ぼく」なりにいろいろな可能性を試して脱ごうとしているようなのですが、どうにもなってない。そして子どもならではの妄想が始まっていきます。

ちなみにですが、わたしもTシャツを脱いでいる途中で引っかかり、まったく脱げなくなったことがあります…。一部に伸縮性のきかない生地が使われていて、汗をかいていたものだから、肌にピチっとついてしまい、脱いでいる途中の態勢は何気につらく、かつ大問題は呼吸ができなくなったこと。濡れているので、通気性なんてなく、口にビタっと…ほんと死ぬかと思った…

ふくがぬげないだけで、ほかはかわらない

もうぬげない
ぬげないだけで、ほかはかわらない

服が脱げなさ過ぎて、もはやこのまま生きていくしかないのかと考える「ぼく」。

きっと服が脱げないことによる、メリットデメリットを「ぼく」なりに分析します。そこで至った考えが「ふくがひっかかってるだけで、ほかのひとと なんにも かわらない」ということ。

服が脱げないんだったら、脱がなきゃいい!と開き直ります。これって、人と何か違うことがあっても、それを服が引っかかってることは変ではないから直さなくなって別にいいという風にもとれます。

とはいえ、両手がふさがれているデメリットにも気が付きます。浮かび上がる課題に対して、こうすればいいという解決策を模索し自分を納得させようとしますが、最終的にはお風呂に入ろうかなと、やはり脱ぐことを決意。

しかし、脱げないものは脱げない。

なぜかズボンから脱いだらいけるんじゃないかと試してみると、やはりふさがった両手のままではズボンまで脱げなくなり、万事休す…。両手足がふさがれてしまいます。こんなこどもの状況ありがちかもしれませんね笑 意味不明な状態によくなりからね、こどもは…笑

世話をやくお母さん

『おしっこちょっぴりもれたろう』でもそうでしたが、最後はお母さんがいる安心感。シャツもズボン脱げなくなった「ぼく」は、もう動けなくなるのですが、お母さんが登場し、服を脱がせてもらって、ようやくお風呂に入れます。

こどもだから許せることってたくさんあって、それでも世話をするということって、幸福感がすごいあるんじゃないかなと思います。

ま、私はこどもいないんですが…

まとめ

『もうぬげない』の表紙
『もうぬげない』の表紙

絵本という存在が、こどもに与える影響ってどんなものがあるんでしょう。わたしはあまり絵本を親しんだ記憶はないので、実はその魅力を身をもって感じていません。たまに本屋で絵本コーナーを訪れ、パラパラとみてみるものの、すぐに終わってしまうもったいなさをすごい感じてしまいます。

もしかしたら、重要なのは絵本のなかの登場人物たちが、どのように行動し、どう考えるかという想像をすることなのかも。漫画やアニメで考えると、次の展開を妄想したり、自分が好きなキャラクターになったつもりで、ごっこ遊びをするなんて日常でしたから。

特に絵本は大人からすれば情報量が少ないので、子どもには親しみやすい。でもやはり情報が少ないから、次を想像し、シリーズ化されている絵本も多い。

創造力を働かせることで、自分だけではなく他者の立場から物事を考えられるようになるのかも。

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