エーリッヒ・フロムの『愛するということ』。タイトルだけではなかなか手に取りにくいという人もいるかもしれません。恥ずかしながらフロムを知ったのも、そもそもこの本で読書会をしようという誘われたのがきっかけでした。
わたしがアクティブ・ブック・ダイアローグ®(ABD)という読書法のファシリテーターでもあり、初めてでもありながら、対話の時間は濃厚なものとなりました。6名と少人数での開催というのもよかった。本のボリュームは少ないですし、この本を読んだあとに他のフロムの本、『自由からの逃走』も読みましたが、やさしく読みやすい。
「愛する」とは何か、テーマとしても各自が自分のなかで感じることも異なるものになり、深い対話になります。もしもフロムが言う「愛」がセックスアピールであるとかであれば、なかなか自己開示もしにくいとは思いますが、ここで紐解かれている「愛」はそうではありません。
さて、ところで「愛」と「恋」の違いは何かということを考えたことはありますか?
似たように思えるものの、なんだか違うとは誰しも思うところ。フロムが言うには、「恋」と言うものは落ちるものであって、つまり「対象」だけの問題。「愛」というのは対象がありながらも、それが全てではなく対象を通して最終的には全てを愛するというところに着地します。書くとメチャクチャ難しいですね…
『愛するということ』のなかで書かれている「愛」を定義するのは難しく、複数の表現がなされているのでちょっと混乱します。
愛とは技術である。
愛とは与えることである。
愛とは孤独を脱却するための欲求を解決するもの。
愛とは全体性。
愛とはつながりたいという欲求。
でも、名言・格言の宝庫な感じしませんか?味わいも読む時々で変わってきますので、ふとした際に読み返したいものです。
ちょっと脱線しますが、昔、脚本家・野島伸司さんのドラマで『世紀末の詩』という作品がありました。結婚式で花嫁を奪われた主人公・野亜亘が「愛とは何か」を探し、ある意味で生に達観している元大学教授の百瀬夏夫という毎回異なるエピソードから愛を問う物語でした。
めちゃくちゃいいんですよ!このドラマ。あまり知られていないのですけど…。毎回のように名言の連発です。意外と合わせて読んでもいいのかもしれないなと思いました。
さきほども触れましたが、フロムは『愛するということ』の前に『自由からの逃走』という本も書いています。この本は、人間は自由を得ることで孤独になったという前提で話が進みます(その結果ファシズムにつけこまれてしまう)。『愛するということ』でその孤独に向き合う手段としての「愛」が語られて、フロムのなかで問うている孤独への解をなしているのだと思っています。
さて「愛するということ」とは何か…?
『愛するということ』の概要と要約
何を?
真に人を愛するという技術
誰に?
孤独な人類へ
なぜ?
多くの人が愛についての問題を「愛される」という問題と捉えているから
内容
・人間は孤独
-孤独は「不安」「恥ずかしい」
-愛は、孤独から脱却したいという欲求
・愛するということは、孤独を解決するための技術
・愛とは無償で与えること
-見返りを求めない
・愛とは全体性
-あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している
『愛するということ』とは?
『愛するということ』はエーリッヒ・フロムの著書。『自由からの逃走』で著したように、人間は孤独から逃げようとする。そのため「愛」によってその穴埋めをしようとする。その「愛」を、フロムは「愛は技術である」としている。
一方で人間は孤独から逃げるために「愛」を求めているにも関わらず、成功・名誉・富・権力といった目標を達成する術を学ぶために多くのエネルギーを割いている。なぜならば、愛は心にしか利益を与えず現代的な意味での利益はもたらしてくれないと考えている。
『愛するということ』はその点に問いをたて、愛という技術について、愛の理論について論じ、愛の習練について述べている。
●参考
NHK100分de名著「名著30 フロム『愛するということ』」(2014年2月5日~2月26日 4回放送)
著者:エーリッヒ・フロムとは?
エーリッヒ・フロムはドイツ出身の心理学者。学生の頃にフロイトと文通をするようになり、初期のころはフロイト派であったが、次第にマルクスやウエーバーの社会学的な視点を加えた新フロイト派の代表とされる。
ファシズムを生み出した大衆心理を研究。別著の『自由からの逃走』でまとめた。そのなかで現代人は自由を獲得したが、自由のもたらす孤独感に耐え切れず、逆に力強く自分を導く権威への服従を求めるようになったと分析した。個人が100%自由だったら、誰一人として同じ考えを持たない。つまり意見が一致しない。認めてもらえなので孤独になる。自由とは責任が重く孤独なので現代人は逃走するという考え。『愛するということ』でも孤独が鍵となっている。
本の解説と感想(レビュー)
人は愛について学ばない
愛が技術であるとすれば、愛は学習することができるということになります。
フロムは最初に、「愛とは技術か」?と私たちに問いかけ、私たち人間が「愛」と語るうえで安易に考えがちな「快感」に捉われて、多くは技術と認識していないと述べています。これは「愛する」ではなく「愛される」という「与えられる」という状態ばかりが関心事になっているからです。
愛されるためにはどうすればよいかという目標に対し、男性の場合は富や権力、女性の場合は外見的な魅力を磨く。「対象」から気に入られるような振る舞いを行ったりします。
「対象」というのも大きな問題。愛が人によるものであれば、愛が能力の問題ではなさそうに見えてしまいます。
技術であるからには理論と実践が必要で、本書にはこれらがまとめられています。
人間は孤独
人間はもともと孤独なのに、それを不安に思ったり、恥ずかしいと思うので、その状況から脱するために愛を求めます。愛とは個人的な状態から抜け出して他者と一体化したいという強い欲求でもあります。
「人間は孤独」というとなんだか哲学的な感じになってしまいますが、これはとても理解ができます。
大昔から人間は、祭りを行ったりしました。今に至っても私たちは集団への同調の慣性が働きます。ですが、これらは一時的なものであったり、また偽りの一体感しか得られないことも多いです。
奴隷制度がなくなり、また個人の経済が解き放たれて、人は自由になりました。ですが、自由というのは実は不自由で、何をしていいのかも自由、どうやっても自由という緩すぎる条件が課せられます。この状態って何をやっていいのかわからなくて、創造性が乏しい状態になると思うんです。
条件や制約がある方が人間は創造的は発想が湧きやすく、イノベーションは起きやすいように思います。職場や学校でブレインストーミングをするときを思い浮かべてください。「何か新しいビジネスを考えてください」と単純に言うのと「今あるリソースから何か必ず借用して」と付け加えるのとではアイデアの数も違いそうです。
愛する対象を通して自分を愛する
フロムは、「愛とは与えること」と主張しています。与えるということは、受動的な感情が起点ではなく、能動的に自ら踏み込むことです。さらに大事なことは「ギブアンドテイク」でも「自己犠牲」でもないということ。商人のように見返りを求めるのではなく、美徳にくるまれた苦痛でもありません。
フロムは冒頭で、人は「愛」を対象の問題としているため、能力や技術ではないと思っていると述べていました。つまりこれは与えた相手だけを見るものではないということです。なのでフロムは、愛する対象によって愛に様々な種類があるということは否定していません。
なかなか難しいですね…
フロムは、愛を「特定の人間にたいする関係ではない」としています。これを念頭に入れておくと、フロムの考え方の理解が進みます。特定の誰かだけに関心が向けられ、他人には無関心であったのなら、それは共生的愛着(母親と胎児のような依存関係)でしかありません。一人の人を本当に愛するということは、全ての人を愛するということになります。
フロムが言うには、以下のような状態です。
誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ。
愛するということ p77
愛について重要なことは可能性を信じること
最後の章である「愛の習練」には、技術を高めるためのポイントがくつかまとめられています。「規律」「集中」「忍耐」と「最高の関心を抱く」というものです。いずれも「愛」だけに特化したスタンスではないですよね。だからこそ技術なんでしょうね。
「規律」とは、例えば仕事を離れたときの自制のなさを律するもので、言ってしまえば自分自身の意志表明のようなもの。
「集中」とは今まさにこの瞬間に集中することで、その状態は孤独にも耐えられますね。
「忍耐」とは継続や時間。幼児が転んで転んでようやく立ち上がるように。
そして愛を一番重要なものをみなすために、愛を「最高の関心」とすることが求められます。関心事じゃなかったら習得しようという意欲続きませんよね。
そして最後に、これらの前提となる重要なこととして「可能性を信じること」と述べています。これは親が子供に抱く信念のようなものです。可能性を信じるというのは、どんな場面でもそうありたいなと思います。人が成長すると思えなければ教育の必要なんてないし、もし思ったほどに上手くいかなかったとしても、次に機会があったときには経験を活かして想像を超える結果を生み出すかもしれません。そうしていかなければ、私たちが今生きている社会も、持続的な成長というものが途絶えてしまうのではないでしょうか。
最後に・・・
今後、僕がこれだけ「愛」という文字を打ち込むことは今後ないでしょう笑
『愛するということ』改訳新装版との違い
私が今回読んだ『愛するということ』は、1991年に刊行されたバージョンのものでした。2020年に装丁と現代に合った言葉であったり、分かりやすい訳がなされているようです(引き続き鈴木晶さんが翻訳されています)
Amazonの本の紹介の部分に、いくつか例がありので参考にされるのがよいかと思います。
例えば…
(旧)異性愛 → (新)恋愛
(旧)兄弟愛 → 新:友愛
(旧)月賦 →(新)カード払い
(旧)冷感症 →(新)不感症
(旧)前世紀、今世紀 → 新:一九世紀、二〇世紀
確かに読んでいて「自分の解釈大丈夫かな?」と思った点はありましたね。異性愛はいいけど、確かに兄弟愛って分かるけど、その意味で使われないですよね。「よお、兄弟!」的なのってもはや時代ものや任侠漫画くらいじゃ…
前世紀とかの表現は確かに必要ですね。盲点。
分かりやすい訳の部分は、もとのままでよかったのではないか、と思う内容もありますが、広く読まれるための変更なんですねー。こうした感覚は編集者さんの腕によるところなんですかね。
新装にあたって、著名人からの推薦文もたくさんあるようです。分野が違う方がたくさんいるので、谷川俊太郎さんからアナウンサーの弘中綾香さん、ミッツ・マングローブさんまで幅広い。
ちなみに谷川俊太郎さんの推薦文が、『愛するということ』を最も端的に評価している文章だなと思います。
『愛するということ』を、若いころは観念的にしか読んでいなかった。再読してフロムの言葉が大変具体的に胸に響いてくるのに驚いた。読む者の人生経験が深まるにつれて、この本は真価を発揮すると思う。
僕も、この本を読んでから、また新しい人生経験を経て、ふと「愛するとはこういうことなのか?」と思ったりすることがあります。…いやほんとですよ? だからこそこの本がバイブルだという人が多いんだと思います。
まとめ
愛するということは、人々が経験する最も深い感情の一つで、人々が何千年にもわたって文学や芸術、音楽の中心的テーマとして採り上げられてきた普遍の探求テーマです。
フロムの『愛するということ』という本で書かれるのは、孤独を解決するための技術として語られています。愛は、単に恋愛だけを意味するものではなく、家族、友人、さらには自分自身への愛と表現さえれており、自分が愛を通して何を成そうとしているのかを考える、良いきっかけになりました。
目次
- はじめに
- 第1章――愛は技術か
- 第2章――愛の理論
- 愛、それは人間の実存にたいする答え
- 親子の愛
- 愛の対象
- 兄弟愛
- 母性愛
- 異性愛
- 自己愛
- 神への愛
- 第3章――愛と現代西洋社会におけるその崩壊
- 第4章――愛の習練