『嫌われる勇気』の書評とサクッと要約|すべての悩みは人間関係

嫌われる勇気(岸見 一郎,古賀 史健 共著) Amazonほしい物リスト2021
嫌われる勇気(岸見一郎,古賀史健 共著)

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』って2013年の発売なんですね。ベストセラーランキングなどを見ると、いまでも売れ続けている時代を問わないベストセラーになっています。

本書がきっかけで、アドラーという心理学者の名前はよく聞くようになったのかなと思いまが、ただそれにしても、今でもユングやフロイトほどメジャーではない気がします。

あまり心理学は知見がないので、なんとも実感がありませんが、日本ではエーリッヒ・フロムの『愛するということ』もよく読まれ、その比較としてフロイトがいるので、やはりアドラーは置いてけぼり感はあるのかも。

アドラーなんたるかは、この本1冊で分かったといってはいけないと思うのですが、とても読みやすいので、考え方の方向は把握できた気がします。ですが、タイトルの『嫌われる勇気』という言葉を額面そのまま受け止めるのは気を付けたほうがいいのかなと思いました。

「嫌われる勇気」という言葉の意味。ちゃんと文脈もふくめて咀嚼すると分からないでもないのですが、若干の違和感はあります。他者の人生じゃなくて自分の人生を生きるために、他者の目線は気にしないで自分らしくいきようよというメッセージが「嫌われる勇気」というキャッチ―な言葉になったのかなと。

アドラーの教えを、サクッとかみ砕くと、人にはまず「目的」があって、そのニーズに基づいて今の考えや行動があるので、もし「やればできる」という言い訳ができる状態であったら、それはやらないことによって目的が満たされているから、ということになるらしい。

例えば、引きこもりは、人と話したくないとか、話をすることで傷つくのが嫌とかが理由で、過去のトラウマに因果関係はないという。因果関係なのだとしたら同じような経験をした人がすべて引きこもりになってないとおかしいので、変わるも変わらないも自分次第!…ということです。

他にも、承認欲求を満たそうという行動は、他人に評価されたい、好きでいてもらいたい、という目的があるということ。それは他人にとって心地いい状態になる、つまり他人の人生を生きているということになってしまいます。なので、自分の人生を生きるために、自らの幸せを考えようというもの。

つい不幸自慢をして、関心を引こうとするのも、特別視されたいという人間の優越性の追求に基づくものなのだとか。『サピエンス全史』でも人類は身を守るために共同体を組む、仲間外れになるとすなわち「死」に直結するので、それを避けるための思考や行動が発達していったとあります。なので、構って欲しいというのは、ホモサピエンスの本能ともいえます。

本書は、哲人と青年の対話形式になっていて、青年は人類の本能に従って、哲人の説明にめっちゃ反抗します。物語っぽくなっているのでかなり読み進めやすく、普通の心理学の本を読むより、入ってきやすい。そりゃこの本、売れますね。

話外れますが、先生と学生の対話と言うと、映画『グッド・ウィル・ハンティング』を思い出します。あっちはお互いに葛藤しちゃって、怒りぶちまけたりしてますけどね。アドラーは怒りは相手の上に立ちたいという手段のひとつでしかないというので、哲人は怒らないと断言します。

『グッド・ウィル・ハンティング』の二人のほうが人間むき出しで、向き合ってて、そういう関係も支配と優劣の縦の関係ではなく、横の関係なんじゃないかなと思ったりします。

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え

本の概要と要約

『嫌われる勇気』の問題提起
『嫌われる勇気』の問題提起

著者の課題
アドラーは日本では知られてなく、しかも専門家にしか通じない言葉では正しく理解されにくい。

解決方法
本書は、ソクラテスの教えをプラトンが対話形式でまとめ後世に残したように、アドラーの教えも対話形式を採用して物語としてまとめた。

『嫌われる勇気』
原因ではなく目的があって今を選択している
『嫌われる勇気』
すべての悩みは対人関係

内容
・アドラー心理学は「原因」ではなく「目的」から考える
 ー原因に基づく結果ではない
  ートラウマはない
 ーこうありたいという目的がいまのライフスタイルを決定している
・例えば…
 ①小説家になりたい
 ー賞の応募に出せない
 ー「やればできる」という可能性を残したい
 ー応募しないと自ら決断している
 ②引きこもり
 ートラウマがあるから外に出れない
 ー本当は「外に出たくない」から「出れない」理由を自ら探している
 ートラウマが理由だったら、その過去を持つすべての人が引き籠りじゃないとおかしい
・つまり人は「このままのわたしでいるほうが楽であり、安心」と考えている
 ー幸せになる勇気、嫌われる勇気が足りていない
 ー自分のライフスタイルを変えるのは自分。自分で変えられる
・すべての悩みは対人関係
 ー自己嫌悪
  ー自分の短所を見つけて対人関係に踏み出さない
 ー劣等感
  ー特別でいたい
  ー優越感を得られないと不幸自慢をして心配してもらいたい
 ー理想の自分との比較から生まれる
・他者の期待を満たすために生きない
 ー承認欲求は他者からの評価を気にしている
 ーこれは他人の人生を生きること
 ーありのままの自分を受け入れる(自己受容)
・課題を分離する
 ー自分と他人との課題を切り離す
 ーもし他人の課題に突っ込むのであればそれは介入
  ー上の立ちたいというタテの関係
 ーヨコの関係を作り、支配も優劣もなくす
・共同体感覚
 ー他人を敵ではなく仲間と考える
 ー他人がどう思おうが主観的に貢献しているという感覚(他者貢献)
 ー最小の社会は自分と相手
 ーより大きな社会で捉えていく

『嫌われる勇気』の著者(哲人と青年)

岸見一郎

岸見一郎(きしみ・いちろう)さんは、1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。京都教育大学教育学部、奈良女子大学文学部(哲学・古代ギリシア語)、近大姫路大学看護学部、教育学部(生命倫理)非常勤講師、京都聖カタリナ高校看護専攻科(心理学)非常勤講師を歴任。専門の哲学に並行してアドラー心理学を研究、精力的に執筆・講演活動を行っている。

●インタビュー
岸見一郎・独占インタビュー「働くということは、ほとんど生きることと同義です」(BEST TiMES 2016.07.22)
【岸見一郎さんインタビュー】女性リーダーがもつべき「勇気」とは?(Precious.jp:プレシャス 2017.3.22)

●公式
岸見一郎 official site
Twitter:岸見一郎 Ichiro Kishimi@kishimi

古賀史健

ライター。株式会社バトンズ代表。1973年福岡県生まれ。1998年、出版社勤務を経て独立。著書に『嫌われる勇気』(共著・岸見一郎)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(共著・糸井重里)などがある。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。2015年、ライターズ・カンパニーの株式会社バトンズを設立。

古賀さんは、心理学を追求する研究者ではなく、企画者、編集者、ライターという立ち位置です。『嫌われる勇気』の出版に至った背景には、過去に古賀さんが岸見さんの著作のなかで、アドラーという心理学者を初めて知り、かつ平易な言葉で書かれていることでアドラーに興味をもったそうです。いつか岸見さんと一緒に「アドラー心理学の決定版といえるような本を作りたい」という自分のニーズからこの本が実現したのだとか。

●インタビュー記事
古賀史健×糸井重里対談 ライターの声に耳をすませて。(ほぼ日刊イトイ新聞 2016.05.16)
ベストセラーライターが語る「わかりやすい文章」の落とし穴(ダイヤモンド・オンライン 2021.05.15)

●公式
Twitter:古賀史健(Fumitake Koga)@fumiken
note:古賀史健

本の解説と感想

対話形式

答えとは、誰かに教えてもらうものではなく、自らの手で導き出していくべきもの

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p40

『嫌われる勇気』は、哲人と青年の対話形式で進んでいきます。この形式は、ソクラテスの教えをプラトンが対話篇で著したように、哲人に青年が疑問ををぶつけながら、「アドラーの教えではこう考える」という形で先生が返す。そして青年がもんもんして、また後日に問いを投げかけるというストーリーになっています。

この形は、著者のひとり古賀さんの企画なんですかね。あとがきで「本書は、読者の方々が抱くであろう疑問を丁寧に拾い上げるべく哲人と青年による対話篇形式を採用することにしました(p289-290)」と書かれています。

対話(ダイアローグ)というのは、答えを一方的に教えるのではなく、それぞれが思うことを口にし、自分自身あるいは全体で答えを導くものです。本書も「哲人」という先生に当たる人が「縦の関係」で青年の上に立つようなイメージを持つかもしれませんが、途中、哲人は青年を友達・友人として捉えていることが示唆され、「横の関係」を意識していることがわかります。

ソクラテスと対話をする青年は、ソクラテスのいうことに最初から「なるほど」と納得することはありません。徹底的に反駁します。本書が哲人と青年の対話という形をとっているのは、ソクラテス以来の哲学の伝統を踏まえているわけです

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p292

ソクラテスとプラトンの対話篇でも上記のようだったらしいですが、本書でも青年はなかなか引き下がりません。後半で覚醒するのですが、本書を読み進めながら、青年と一緒に学んでいきましょう。

原因ではなく、目的が先にある

あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているから

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p51

岸田氏が説くアドラー心理学が徹底して否定していることがあります。それは、「過去のトラウマ」が、いまの行動の原因になっているということです。

「いや、そんなことないだろう」と青年はすぐ否定するのですが、考え方はシンプルです。過去に原因があるなら、その過去の経験を持つ人がすべて同じ状態になってないとおかしい。これからの目的がいまの状態にさせているというもの。

例えば、両親から虐待を受けて育った人がいたとします。それがトラウマとなり引きこもりになってしまうというのであれば、そのような経験を持つ人すべてが引きこもりになっていないと辻褄が合わないというのです。

目的論では、「外に出たくないから、外に出ない」という考え方です。つまり、目的を達成するために引きこもりになっているというもの。

「自分は両親に虐待を受けたから社会に適合できない」というのは都合のいい言い訳で、そう考えたい目的が先にあり、引きこもりというのはその目的を達成している状態にあるのです。

人間関係で言えば、あなたがAさんという人を嫌っているとしたら、あなたにとってAさんが許しがたい欠点があるからだと嫌っているわけではなく、Aさんのことを嫌いになるという目的が先にあって、その目的にかなった欠点を後から見つけ出そうとしているのです。

いま、お仕事をされている方のなかには会社への不満がある人もいらっしゃるかと思います。転職をしたいと考えている人もいるでしょう。でもその一歩を踏み出さないのは、いろいろと不満はあったとしてもこのままの私でいることの方が楽であり安心なのです。

A さんという人物を嫌っているとした時 A さんには許しがたい欠点があるからだと嫌っているわけではなく A さんのことを嫌いになるという目的が先にあってその目的にかなった欠点を後から見つけ出そうとしている

アドラー心理学では、過去の原因による結果論ではなく、決定するのはあくまでもあなたの目的次第なのです。

優越性の追求

人は無力な存在としてこの世に生を受けます。そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼びました

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p79

人はだれしも無力な状態から脱したい、一般よりも上位でいたいという「優越性」を追い求める性質があるのだそうです。

これも青年のように「いや、そんなことはない」という反論もありそうですが、例えば人に何かを「教える」という行為も、もしかしたらその相手に対して縦の関係を築きたいという裏の目的があるのかもしれません(家庭教師のようなビジネスなら関係が薄いと思いますが)。与えることによって、何かしらの見返りを求めるということです。特別でありたい、という承認欲求です。

しかし、必ずしも優越性を行使できるわけではありません。その場合の解決手段として「不幸自慢」というのがあります。ありますよね、心配してもらいたいから不幸を持ち出すこと…

これは、自分の不幸を武器にして相手を支配しようとする行為です。弱さというのは人間にとって大きな武器で、極端な例では赤ん坊のような無力な存在は、周囲が全力で守るわけです。弱さというのは力をもっているんですね。

劣等感という主観

われわれは「同じではないけれど対等」

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p92

何かしら「劣等感」を持つ方もいらっしゃるかと思います。私も例えば「歯並びが悪い」とか「足が短い」とか、そんな劣等感があったりします。この劣等感というのを、アドラー心理学的に考えてみましょう。

劣等感を抱く原理は、必ず比較対象があります。例えばある俳優に憧れ「カッコいい」「こうなりたい」という想いを抱いているとします。そのとき、自分と比較して「自分はここがイケてない」などという劣等感に苛まれます。

ところが、その劣等感は他者にとってはどうでもいいことだったりします。

自分で歯並びが悪いと思っていても、実は他者からすれば大したことではないかもしれません。主観に基づいた劣等感です。つまり劣等感とは客観的事実ではなく主観的な解釈であり、主観的な解釈と言うことは、自分で変えることができるということです。

ようやくアドラーが言う「人は変わることができる」という教えに近づいてきた気がしますね。

アドラー心理学の目標

アドラー心理学では、人間の「行動面」と「心理面」のあり方について、目標を掲げているのだそうです。行動面も心理面もリンクしています。

●行動面の目標
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること
●心理面の目標
1.わたしには能力がある、という意識
2.人々はわたしの仲間である、という意識
●人生のタスク
1.仕事のタスク
2.交友のタスク
3.愛のタスク

行動面の目標は、「他人の人生を生きるのではなく、自分が幸せになる勇気、嫌われる勇気をもつ」ことと、のちほどまとめる「共同体的感覚」の実践です。

心理面は、人間関係の悩みを解消するための自己受容・他者信頼・他社貢献という3段階を経て、社会を敵ではなく仲間と捉えて過ごすことです。例えば相手から心配されたい劣等感で他者の気を引くのではなく、今の自分を認め、他者に対しての行動に見返りを求めないこと。

タスクは、人生の中で直面せざるを得ないことごとに整理されています。仕事のタスクは、実は対人関係が最もハードルが低いです。仕事というからには共通の目標があるはずなので、気が合わなくても協力せざるを得ません。

交友のタスクは、友人関係のうえでのタスク。ここは仕事のタスクと比べて強制力が働きません。愛のタスクは、パートナーや家族との関係。交友のタスクと愛のタスクは、つい縦の関係になりがちです。

例えば、愛とは「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」という実感がお互いに持てるということ。束縛をすることは「相手を支配したい」というとする縦の関係性が表れいて、これは不信感に基づく考え方です。

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

「人々は私の仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方は全く違ったものになります

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p99

これまで説明してきた原因論を言い訳にすること、劣等感、優越性の問題は、人間の悩みはすべて対人関係の悩みである(p72)という答えに行きつきます。自己嫌悪も人間関係の悩みです。

自己嫌悪してしまうのは、「自分を好きにならないでおこう」と決心しているからに他なりません。

本書のなかで例で、赤面症の女性の話がありました。人前に立つと赤面してしまうのが治らないという女性。哲人の見立ては「赤面症を必要としているから治らない」というもの。

女性には片思いの人がいて、赤面症が治ったらその人に告白したいという気持ちがありました。ところが、告白が失敗することを恐れていて、「赤面症だから告白できない。赤面症ではなかったら自分だって…」という可能性を残しておきたいというのです。対人関係において傷つくことを恐れているのです。

人間の悩みがすべて対人関係の悩みなのであれば、その悩みを消し去るには、ただひとりで生きるしかない、というのがアドラーの教えです。しかし実際には一人で生きることはできないのは明白。ではどうやって生きるのかというのが次のステップです。

他者の課題を切り捨てる

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p135

アドラー心理学では他者から承認を求めることを否定しています。他者から承認されるということは、他者にとって満足いく行動をあなたが取っているということに他なりません

他者の期待など満たす必要はないというのが、アドラー心理学です。自分の承認欲求を満たすため、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになってしまうのです。

この状況を防ぐために、自分と他者の課題を分離するということが必要になってきます。「これは他者の課題なので踏み込まないようにする」ということです。他者の課題に踏み込んでしまうと、介入になるので、「縦の関係(つまり支配関係)」になってしまいます。

例えば子どもに「勉強しなさい」というのは介入になります。一番よいのは、子どもが勉強することが自分の課題だと認識し、自立して考えることです。といっても、親が全く子どもに関わらないわけではなく、子どもが勉強したいと言ったときに、支援をしていくのが横の関係です。

幸せになる勇気、嫌われる勇気を持つには、まず他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させないということ。他者の課題は切り捨て、自分の人生の荷物を軽くすることが、人生をシンプルなものにする第一歩になります。

共同体的感覚

アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p198

「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p185

対人関係の悩みがあるのは、他者との比較からで、悩みから解消されるには、この世でただ一人で生きることというのがアドラーの教えでした。とはいえ完全に一人で生きることはできないので、どのような考え方で生きればよいのでしょうか。

アドラー心理学では「共同体的感覚」を持つこととされています。

ざっくりといえば、他者を敵ではなく仲間と考えるということです。自己に執着するのは、他者と競争関係(縦の関係)になってしまうからなので、他者の関心へ切り替える「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」の3要素を考えます。

自己受容とは、あるがままを受け入れるということ。テストで60点を取ったときに、「本当は100点がとれた。たまたまだ。」と考えるのが自己肯定。60点を受け入れ、「どうやったら100点に近づけられるだろうか」と考えるのが自己受容です。

他者信頼とは、無条件に信じること。無条件ということは、何ら見返りを求めていません。ものすごく性善説的な考え方ですが、何度も裏切られてもなお無条件に信じてくれる人がいたら、その人に対して何度も背信行為を働ける人はいないだろう、というのがアドラー。

共同体感覚は、社会のなか(狭義には自分と相手のふたり)で自分という存在がここにあってもいい、という所属感を得るには、自己受容と他者信頼が必要なのです。

最後に他者貢献。これはやや難しいのですが、他者貢献とは、自らを犠牲にして他者に尽くすという意味ではなく、自分の価値を実感するためになされるものです。労働するのは金銭を稼ぐためではなく「わたしは誰かの役に立っている」という他者貢献をなして共同体にコミットします。

『嫌われる勇気』への批判や誤解

ベストセラーとなり、アドラー心理学を一躍有名にしたの『嫌われる勇気』ですが、かなり誤解されやすいのではないかなと思いました。気になった点をいくつか挙げていきます。

『嫌われる勇気』というタイトル

まずタイトルが「嫌われる勇気」というところから、「嫌われてもいいんだ…」というような単純な解釈の間違い。ちゃんと本を読めばその表現の意味は分かるのですが、掴みの部分から誤解を与えている印象です。

私が私であるために嫌われたってかまわない、他人の事なんて考えずに好きに生きる。その通りではあるのですが、何も自己中心的になってもよいというわけではないわけです。

人は承認欲求があるから、他人と比較して劣っていると感じると劣等感を抱いてしまうし、不安にもなります。そして、あの人にもこの人にも認められたい、と思うとどうやっても自分の人生を生きられなくなってしまいます。

なので、ちゃんと自分の人生を生きるために、他人に認められるための生き方ではなく、自立して生きていくというのがアドラー心理学なのではないでしょうか。

トラウマなんて本当にないのか?

『嫌われる勇気』の第1章は「トラウマを否定せよ」といきなりパンチのある章タイトル。これは誤解というよりも間違い、言い過ぎなのではないでしょうか。

本書1章は、「いま自分が決断していることについて、過去のトラウマには原因がない」というように読めます。例えば引きこもりになった人がいたとして、子どもの頃の何らかのトラウマが影響しているのであれば、似たような経験をしたすべての人が引きこもりになっているはず…という論調。

結果としての行動を、原因ではなく目的に求めているのがアドラー心理学だ、ということを強調したいがためにこのような話を対話に盛り込んだのかもしれません。

因果関係を問われれば、100%ではないのでその通りなのですが、それは別の要因によってトラウマを払拭できたのかもしれないし、度重なる不幸が一層に個人の心を閉ざしてしまったのかもしれません。

実際に、何とかしたいのに行動に移せない人がいたとします。そのような人に「トラウマなんてないんだよ」「今のあなたが人間関係における不安を作り出しているだけなんだよ」などと言って、解決するのでしょうか。

確かに、嫌なことをしたくない、その理由を過去に見出しているだけというのはその通りかもしれないのですが、「トラウマを言い訳にするな」という意味にも取れる本書の論調は、逃げ道を塞ぐことになるのではないでしょうか。それが果たして望ましいことなのか、これは私も疑問を持ってしまいます。

この点に関しては、こちらの記事が大変参考になりましたので、気になった方はご覧ください。

●参考
三たび野田俊作氏が口を開く 岸見氏の問題は「手術じゃなくて解剖」

まとめ

世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』p281

終盤に書かれているこの内容がアドラーの教えを一番シンプルに表しているように思います。

本書は、「わたしにしか変えられないのはなぜか」という問いに対して、ダイアローグを通してその理由を紐解いていっているという感じでしょうか。

ほとんどの悩みが対人関係の悩みであり、それが主観的な解釈に基づいたものなのであれば、その主観は自分でしか変えられません。一歩を踏み出す勇気さえあれば人間は誰でも変われるということです。スペンサー・ジョンソンの名著『チーズはどこへ消えた?』でも、最後に残った小人のヘムは、今までの経験にしがみつき、一歩進む勇気が出ず、一歩を進んだホーは新しいチーズを発見します。

とはいえ…わかっていても一歩が踏み出せないのが人間なんですよねー。でも他人の人生を生きないとか、他人の期待を満たすために生きているのではないという言葉は、大事にしていきたいと思います。

本の目次

『嫌われる勇気』の表紙
『嫌われる勇気』の表紙
  • 第一夜 トラウマを否定せよ
    • 知られざる「第三の巨塔」
    • なぜ「人は変われる」なのか
    • トラウマは、存在しない
    • 人は怒りを捏造する
    • 過去に支配されない生き方
    • ソクラテスとアドラー
    • あなたは「このまま」でいいのか
    • あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの
    • 人は常に「変わらない」という決心をしている
    • あなたの人生は「いま、ここ」で決まる
  • 第二夜 すべての悩みは対人関係
    • なぜ自分のことが嫌いなのか
    • すべての悩みは「対人関係の悩み」である
    • 劣等感は、主観的な思い込み
    • 言い訳としての劣等コンプレックス
    • 自慢する人は、劣等感を感じている
    • 人生は他者との競争ではない
    • 「お前の顔を気にしているのはお前だけ」
    • 権力争いから復讐へ
    • 非を認めることは「負け」じゃない
    • 直面する「人生のタスク」をどう乗り越えるか
    • 赤い糸と頑強な鎖
    • 「人生の嘘」から目を逸らすな
    • 所有の心理学から使用の心理学へ
  • 第三夜 他者の課題を切り捨てる
    • 承認欲求を否定する
    • 「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
    • 「課題の分離」とはなにか
    • 他者の課題を切り捨てよ
    • 対人関係の悩みを一気に解消する方法
    • 「ゴルディオスの結び目」を断て
    • 承認欲求は不自由を強いる
    • ほんとうの自由とはなにか
    • 対人関係のカードは、「わたし」が握っている
  • 第四夜 世界の中心はどこにあるのか
    • 個人心理学と全体論
    • 対人関係のゴールは「共同体感覚」
    • なぜ「わたし」にしか関心がないのか
    • あなたは世界の中心ではない
    • より大きな共同体の声を聴け
    • 叱ってはいけない、ほめてもいけない
    • 「勇気づけ」というアプローチ
    • 自分には価値があると思えるために
    • ここに存在しているだけで、価値がある
    • 人は「わたし」を使い分けられない
  • 第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる
    • 過剰な自意識が、自分にブレーキをかける
    • 自己肯定ではなく、自己受容
    • 信用と信頼はなにが違うのか
    • 仕事の本質は、他者への貢献
    • 若者は大人よりも前を歩いている
    • ワーカホリックは人生の嘘
    • 人はいま、この瞬間から幸せになることができる
    • 「特別な存在」でありたい人が進む、ふたつの道
    • 普通であることの勇気
    • 人生とは連続する刹那である
    • ダンスするように生きる
    • 「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ
    • 人生最大の嘘
    • 無意味な人生に「意味」を与えよ
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