『癒されたい日のぼのぼの 』の感想|こどもの頃の想像力と冒険心

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癒されたい日のぼのぼの(いがらしみきお)

1995年にアニメ化もされた『ぼのぼの』。そのころ僕は小学生だったかな。アニメ化される前に、近所のお兄さんが漫画を持っていたので、もともと漫画も読んで知ってはいましたが、アニメ化されてから、自分でも漫画も集め始めました。30巻も過ぎる頃に難しすぎてちょっとついていけなくなって35巻を最後にすっかり離れてしまってたんですよね。

公式サイトを見ると、すでに45巻(ぼのねっと)…長寿漫画になりつつあるようです。

最近の『ぼのぼの』は、なんだかちょっとスリムになっているのですが、1巻は結構重そうなフォルムをしてます。スナドリネコさんとか、序盤は全然違う。細長い印象が強いと思うんですが、なんか筋肉質というかデカいんですよ。

この『癒されたい日のぼのぼの』は、著者と編集部が「癒されたい日」に読むとしたらという目線で選んだ、言わば傑作選。意外と全部のエピソードを覚えていて懐かしい。

この本みたいに「癒されたい」とか、こういう感じでテーマに沿ってエピソードをまとめてくれると、じっくりと読めるのがいいです。

『ぼのぼの』にあるのは、ずっと子ども目線。ぼのぼのは妄想力・想像力がたくましく、代表されるのは悪いことしたら石の囲いにしまっちゃう「しまっちゃうおじさん」。今回も巨大化する、しまっちゃうおじさんが登場します。

いじめっこのアライグマくんも、ぼのぼのシマリスくんよりもちょっと思考は大人びてはいますが、やっぱり噂話を信じてしまうようなキャラクター性をもっている。

『ぼのぼの』のエピソードで多いパターンは、僕らが普段生活していて遭遇する意味はないのだけど謎なことに、ぼのぼのなりに意味づけをしようとして、妄想し、冒険(解決しようとしていろいろな人に会いに行ったりする)がはじまります。

『癒されたい日のぼのぼの』でも、ぼのぼのとシマリスくんが友達のプレーリードッグくんが、巣にいなかったところ「どうしちゃったんだろう」と妄想を膨らませてプレーリードッグくんを探しに行きます。

ぼのぼのは、プレーリードッグくんが、巣の中で骨になってたり、乾いて風に飛ばされたり、水に流されたりなど妄想します。普通、家にいなかったらどこか出かけてるんだくらいで済むじゃないですか笑

他に、子ども目線で面白かったのは、スナドリネコさんに子ども扱いされるのがいやで反抗する場面があります。子どもならではの大人への反抗心と意地が見えてかわいい。そしてこども扱いするなと言われたあとにスナドリネコさんが放った「おいラッコ」という切り替えしが…

Kindle unlimitedの読み放題の対象みたいなので、ぜひ眺めてみてほしいです。
めちゃくちゃ面白いです。最新刊も「何を問うてるエピソードなのか」を考えながら読むと、味わい深く読めるのかもしれないですね。

Bitly

本の要約と感想

第1章 プレーリードッグくんがいなくなった

癒されたい日のぼのぼの
見どころピックアップ

ぼのぼのは、ある日シマリスくんが慌てた様子で「プレーリー(ドッグ)ちゃんがいなくなった」と相談に来て、砂漠に住んでいるプレーリードッグくんの住処を一緒に訪れます。

プレーリードッグくんは、いつも呼ぶと穴から顔を覗かせるものの出てこない。ここからぼのぼのの妄想と冒険が始まります。まず、巣の中に友達が本当にいないのか、おっかなびっくり探すところから。

シマリスくんの、勝手に友達の家に入るドキドキと背徳感みたいなものが伝わります。ぼのぼのはというと、独特な表現で「もしかしたらプレーリードッグくんは…」と考えます。

「ひゅーかたかた」と、骨になって風化しつつあるプレーリードッグくん。
「ひゆーくるくる」と、乾いた葉っぱのように風に飛んでいくプレーリードッグくん。
「ひゅーぷわぷわちゃぱ」と、葉っぱになって飛んだプレーリードッグくんが川に着水。
「じわーふにゃふにゃぷくー」と、川の水でもとに戻るプレーリードッグくん。
「いもほり いもほり たのしいなー すぼ」と地面にうずまったプレーリーくんをアライグマのおやじが芋ほりの流れで採取してそのまま食べる…

など。なぜか怖い妄想しかしない。それがぼのぼの。

結局プレーリードッグくんは、春に咲く花を見にいっていたというオチ。普段は砂漠にしかいないプレーリードッグくんは、綺麗に咲く花を1年に一度見に行くらしい。ハレとケのように、周期的に訪れる日常にはないものに感動を覚えるのは、子どもでも一緒ですね。

そうかじゃあプレーリードックくんにはボクたちよりずっときれいに見えるのだろう

『癒されたい日のぼのぼの』p37

第2章 海はボクの一番の遊び場

アライグマくんとぼのぼのが遊ぶ回。

ぼのぼのは海で一人で遊ぶとき、波に乗って遊ぶそうです。その姿は波に乗っているというか、飲み込まれているというか…

子どもの頃って、遊び方は自由。あるものがあって、それをどうやって楽しむのか、楽しめるのかが腕の見せ所。大人目線で見ると何が面白いのか分からないので混乱することってありますよね。でも自分の子どもの頃を思い出すと、勝手に遊びを作って、ひたすら繰り返していたように思う。

この回では、アライグマくんが遊びに参戦します。海での遊び方を模索していましたが、ぼのぼのが提案した波乗りをアライグマくんも体験。アライグマくんは波に飲み込まれて打ちつけられる時が楽しいらしく、ほのぼのは波に乗った時が一番面白いらしい。でも、ぼのぼのも波に背中を打たれて、浜辺に打ち上げられるようになる状態から死んだふりをするのが楽しいとも言ってる。

何に楽しみを見出すのかは、他人ではなく自分って話かな。

海は海と遊ぶところなんだ

『癒されたい日のぼのぼの』p71

第3章 あぁ夏だなぁ

これも、それぞれの価値観の話。ぼのぼのは、「夏だな」と感じたとき、わくわくして走りたくなるみたいです。じゃあ、みんなはどうなんだろう、と聞いて回ります。

シマリスくんは、走りそうになるのを我慢する。(絵ずらが、この回の見どころの一つ)
アライグマくんは、夏だなと感じても何もしない。
スナドリネコさんは、景色を覗いたとき夏だなと感じて、その方向に行ってみる。
クズリくんは、旅に出ると言う。
フェネックギツネくんは、夏だよと家族に報告をする。

最後にプレーリードッグくん。プレーリードッグくんはジェスチャーでぼのぼのに何かを伝えようとします(プレーリーくんは言葉を発しないキャラ)。指さしたほうこうにぼのぼのが進んでいくと、「夏屋」という看板を見つけます。イノシシのおじさんが「夏のものなら何でも売ってる」と何か商売をしています。カブトムシや氷などを扱っているようです。

そんなおじさんにも「夏だなあと思ったときに何する?」と聞きます。おじさんは夏「だなあ」と思ったらこうする、と狂ったように走り出します。ぼのぼのはおじさんと一緒だと思います。

あぁ夏だなあと思ったら 今度からはおじさんに会いに来ようとボクは思ったのだ

『癒されたい日のぼのぼの』p105

第4章 こわい考え

癒されたい日のぼのぼの
見どころピックアップ

ぼのぼのは棒状の「なんだか長いもの」を海で拾います。

ぼのぼのはお父さんと一緒に、飾って眺めたりしていたけど、ある日その長い物が飾っていた場所からなくなります。ここからぼのぼのの妄想がスタート。

なぜか怖い方向にいくのがぼのぼの。長い物が、誰かに刺さって死んだかもしれないと想像します。そうすると、そんなことをした子を、しまっちゃうおじさんが探しにくるのです。巨大なしまっちゃうおじさんが…

最初、山を優に超えるデカすぎるしまっちゃうおじさんを想像したけど、デカすぎて怖くないなと思い、なぜかほどほどにデカい設定(山くらいの大きさ)に変えて自分で恐怖心を煽るぼのぼの

道端に「誰か何か刺さったらここに石をおいてください」と書き、待機します。絶望的に意味のない行為ですが、ぼのぼのは真剣です。その後アライグマ君が来る一緒に探そうとします。ここからまたいろいろな妄想。

結局、長い物の正体は分からなかったけど、ぼのぼのはカニが自分の進もうとしている道の障害物を海に捨てるのを目撃します。

こわい考えは こわい こわい

『癒されたい日のぼのぼの』p108

こわい考えは 楽しい 楽しい

『癒されたい日のぼのぼの』p124

第5章 プレーリードッグくんの春

プレーリードッグくんが、ただただカワイイだけの話です。

ある日、アライグマくんがずんずんとやってきます。プレーリードッグくんは基本表情がかわりません。が、文字説明で「うわーと思っている」と表現されている。プレーリーくんもちゃんと読者と同じような思考を持っているんだという安心感。

アライグマくんは、カタツムリを食べようとしたところ「プレーリードッグくんの知り合い」だということで、アライグマくんは本当にそうかを確かめるためにプレーリードッグくんを連れ出します。

アライグマくんの肩に乗せられますが、途中で肩から落ちた時に目が見開く姿がカワイイ。

今度はシマリスくんが、ぼのぼのが元気ないから来てほしいと、プレーリードッグくんを担いで運びます。ずりずり引きずられるプレーリーくんですが、耐えられなくなったシマリスくんは、プレーリーくんに自分で自分を持ち上げてみて、と頼みます。

たるみのある皮を自分でひっぱるプレーリードッグくん。カワイイ。

元気のないぼのぼのの脇に、ただ巻き付くだけでぼのぼのが元気になる。カワイイ。

場面は変わり、春はどっちから来るんだと探しに行くプレーリードッグくん。自分の巣から出ていき様々なアクシデントに見舞われます。

なぜか川に流されれ、アライグマくんに助けられる。
なぜかいざこざに巻き込まれ、シマリスくんに助けられる。
※すべてカワイイ

シマリスくんに春はどっちから来るのか、と聞くと「あっちのほうから、春はゆっくり来た」と教えてもらいます。

落ち着いて自分の巣に戻ると、最初にアライグマくんに食べられそうになったカタツムリがお礼を言いに来ます。その様子をみてプレーリードッグくんは、「カタツムリくんは歩くのが遅いな」と思います。

プレーリードッグくんは気づきます。カタツムリが、すごく時間をかけてゆっくり、自分の住処にきたことに。

ゆっくり来るのってやっぱりすごいなあ

『癒されたい日のぼのぼの』p173

第6章 花鳥風月はおもしろい

ぼのぼのとスナドリネコさんの漫才の話(花鳥風月の楽しみ方の話)。

ぼのぼのとスナドリネコさんが一緒にあるいていて、花が咲いたことで初夏を発見するところから始まります。全体的に二人のボケとツッコミのような掛け合いで話が進んでいきます。

全部を紹介しようと思うと困難なのですが、ぼのぼのがスナドリネコさんに子ども扱いされるのを嫌がるところからが特に面白いです。「じゃあ何扱いすればいいんだ」というスナドリネコに対し「ぼくはただのラッコだよ」と反抗するぼのぼの。そこから放つスナドリネコさんの「おいラッコ」の破壊力

また月を見にいく途中、道の崩れているところでスナドリネコは軽快に崖を駆けてツタを掴んでターザンのように向こう側に行き、あっけらかんと「さあこい」と言うが、「どうやって」と怒るぼのぼの。

悔しいぼのぼのは、自分のやり方で向こう側に行こうとするが、失敗してボロボロに…ただ向こう側に着いたは着いたので、得意げに「ねっ」という。「ね、じゃないよ」と突っ込むスナドリネコさん。

月が綺麗に見える原っぱに着いた二人は寝転んで月を見る準備を始めます。ぼのぼのま原っぱに寝転んで「一人だなーって感じてすっきりする」と言います。

月が見える頃には、スナドリネコさんはぼのぼのから見えないところに行っていました。

その前に、ぼのぼのはスナドリネコさんに聞いていました。
「どうしてひとりだとすっきりするかな」

そりゃあたいがいの頭にくることって 他人といっしょにいるから起きることなんだよ だからひとりになるとすっきりするんだろ

『癒されたい日のぼのぼの』p232

まとめ

表紙カバーのそでに書かれていましたが、ぼのぼのは哲学的だと言われるそうです。哲学は問い続けるものと勝手に思っているんですが、哲学的な問いを投げかけてくれるのかなと思いました。『ぼのぼのは』、普遍的に存在する物事への解を、ぼのぼのという純粋な存在のレンズを通して導き出したものなんだろうなと思いました。(哲学ってなんだ?というのは『哲学と宗教全史』が参考になります)

改めて漫画を集めてみようかな。

ちなみに、『ぼのぼの』って関連グッズが漫画初期のころから展開されています。それはお店で展開されるものというよりも、通販なんです。漫画の単行本を購入するとグッズ販売の紙が挟まってます。カタログ通販みたいなものです。

カレンダーが人気だったんじゃないかと想像するんですが、ぬいぐるみ、パズルが売っていました。パズルはまだ実家に飾ってますね。

で、詩画集も売っていたりしてこの『みんな思い出なのだろう』という本がいい。収録されているものは、たぶんカレンダーで使われたものが多いんじゃないかと思います。さすがに中身を掲載するのは、著作権等々もあるので気が引けたので紹介にとどめますが、季節とやさしさを感じます。

たぶん絶版されてしまっているんですが、こちらもおススメですね。

みんな思い出なのだろう―ぼのぼの詩画集
みんな思い出なのだろう―ぼのぼの詩画集
みんな思い出なのだろう―ぼのぼの詩画集
みんな思い出なのだろう―ぼのぼの詩画集_裏表紙
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