『「空気」の研究』の書評とサクッと要約|空気とは科学的根拠も歯が立たない妖怪であり超能力

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『「空気」の研究』 ( 山本七平 著)


山本七平氏の『空気の研究』は、いわゆる「空気を読む」の空気について考察した本。いまだかつてない激ムズ案件でした…。たぶんなのですが、それまでほとんどの日本人があると分かっていた「場の空気」というものを、初めて考察したものなのではないでしょうか。

『空気の研究』とはどういう研究なのか、後世にどういう影響をもたらしたものか、wikipediaからの引用になりますが、以下のように書かれていました。

辛口の書評で知られた谷沢永一は、「昭和四十五年から六十二年まで、足かけ十八年間における山本七平の著作三十二冊から、その急所を引き出し、山本学の大筋を読者に眺めわたしていただきたいとひそかに願った」として書かれた著作があり、たとえば『「空気」の研究』について、“この「空気」というのはちょっとコメントをつけにくいが、言われたらいちどにわかることである。これを最初に持ち出した着眼はすごいと思う。日本人のものの考え方、意思決定の仕方に、もしエポックを見つけるとするなら、この『「空気」研究』が書かれたときではないか。」と述べている

wikipedia 山本七平 (文中引用箇所は『山本七平の智恵』PHP研究所、1992年)

というくらい、『空気の研究』は日本人の思考を探るうえで重要な位置を占めたと考えられます。1983年に出版されているのですが、それ以降、さまざまに取り上げられ引用されたりしているようです。

そんなエポックメイキングな名著を要約するつもりで読むわけですが、どうしたことか全然頭に入ってこない。どうして「空気」についてこれだけ難解に書けるのか(僕の国語力のせいなのか…)不思議でならなかったのですが、やはりそもそも空気について、それまでほとんど議論されていなかったからというのも、一つあるのかもしれません。あと、考察するにあたって取り上げている事例について知識がないのと、その事例と空気との結び付け方が、なんだか偏った思想が入っていそうで個人的に合わなかったというのはあるかも…

とはいえ理解できる部分ももちろんあるので、そこからなんとか読み解いていきます。「空気」を説明する上で、戦艦大和の特攻が挙げられていまして、これは分かりやすい。戦時の空気、究極ですよね。大和の場合、その意思決定の場には専門家しかいない状況で、未来の私たちから見ても、傍からみればあり得ない選択肢なのにも関わらず、実行する。

私がこの本を読んだタイミングは2021年6月末ころなわけですが、ブログを書きながら新型コロナウイルスに関連した様々な意思決定が頭をよぎります。それは政府もそうですが、個人や仕事の範囲の意思決定も含めです。

2020年の緊急事態宣言が出る前にもありました、ダイヤモンド・プリンセス号でのあの空気。緊急事態宣言が出る前のあの空気。アベノマスクと揶揄された感染対策のあの空気。マスクをしてないと絶対にいけないというあの空気。友人に食事の誘いに声をかけてられない空気。ワクチン騒動の空気。イベントの開催を中止する空気。

ちょっとネガティブなものが多く挙げられてしまうけど、ポジティブな空気づくりも全然ありますよね。『心理的安全性のつくりかた』はまさに、本書でいう「いつでも「空気」に水を差せる空気」を作ることが大事なわけですし。

空気ってすごい。まさにこの本に書いてある通り、空気というの妖怪であり超能力だ

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本の概要と要約

『空気の研究』の問題提起
『空気の研究』の問題提起

著者の課題
絶対の権威のごとく、驚くべき力を振るい、科学的最終決定すら覆す、「空気」という妖怪がいる

解決方法
「空気」の研究と「水の通常性」の研究によって、人々が自己を拘束している空気から解放する

『空気の研究』の要約
空気とは何か?
『空気の研究』の要約
なぜ空気に支配されるのか?

内容
・空気とは何か?
 -教育や議論、科学的解明も歯が立たない何か
 -ほぼ絶対的な支配力を持つ判断基準であり、妖怪や超能力

・戦艦大和の沖縄特攻
 -三上参謀は「作戦の形を成してない」と言いながら特攻を告げた
 -伊藤長官は「何をかいわんや」と応じた
 -論理的に納得はしていないが、何を言ったところで無駄で、空気の決定であることを了承した
 -戦後『文藝春秋』にて小沢中将は、「全般の空気よりして当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と答えた
 -海も船も空も知り尽くした専門家だけで意思決定したにも関わらず、大和の特攻は実行された

・空気はどう醸成されるか
 ①臨在感的把握
 -本来、物質でしかないモノに何かがあると感じること
 -例:遺跡で髑髏の遺棄をしたときに具合を悪くする
 -例:イタイイタイ病の原因とされるカドミウムの金属棒に対して恐れること
 ②対極把握による絶対化
 -意図的に空気を醸成する手法として善と悪を規定化させる方法がある
 -Aは善、Bは悪というのが絶対化されると空気に支配される

・水を差す
 -空気に「水を差す」と空気は崩壊する
 -水は雨のように連続性がある
 -水の通常性作用により空気に抵抗する
 -さらに、ある固定集団の情況倫理(この情況ではこうするのが正しいという倫理観)を通して、通常・日常となる
 -戦後でいう自由とは、自由に水を差せる空気を醸成することだった

著者:山本七平(やまもと・しちへい)

1921年、東京生まれる。青山学院高等商業学部卒業。1942(昭和17)年陸軍入隊し、陸軍少尉としてフィリピンのルソン島で終戦を迎えて捕虜となった。捕虜収容所生活を経て帰国したのち、1958年山本書店を設立し、聖学書の出版を手がけるかたわら、評論家としても活躍した。1970年イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』を翻訳刊行、大宅壮一ノンフィクション賞受賞、1981年、菊池寛賞を受賞。91年逝去。著書に『空気の研究』のほか、『帝王学』『「孫子」の読み方』『論語の読み方』『私の中の日本軍』『日本人とユダヤ人』などがある。

本の解説と感想

空気とは何か?

「空気」とはまことに大きな絶対権を持った妖怪である。一種の「超能力」かもしれない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない

『空気の研究』p19

戦艦大和の沖縄特攻についての意思決定は、空気による意思決定だったということが、いくつかの状況から考察されています。

というか、昭和50年8月号の『文藝春秋』に、戦艦大和の特攻について特集されたそうなのですが、そこでインタビューを受けた小沢治三郎中将が「全般の空気よりして、当時も今日も(大和)の特攻出撃は当然と思う」と、まさに空気という言葉を用いられています。

戦争の未来に生きる私たちは、客観性をもって、その特攻が無謀、無意味だということが理解できますし、当時の日本軍のなかでもいくらでも無謀とする根拠はあったはずです。しかし、サイパン陥落時の日本の空気は、その根拠を持ち出すことを拒否したのです。

この空気の圧力はとんでもないもので、作戦を伝える三上参謀からして「作戦としての形を為さない(中略)陸軍の総攻撃に呼応し敵上陸地点に切り込みノシあげて陸兵になるところなでお考えいただきたい」と、自分で作戦の体をなしてないことを伝えています。

それに応じる伊藤長官は、「それならば何をかいわんや。よく了解した」と返事をしたそうです。つまり、どんな根拠を並べたところでこの決定が覆らないということを了解したのです。もしこれに「否」と言ったとしても、どんな手段を用いても実行されたのでしょう。

空気とは絶対的な支配力を持つ判断基準ということなのです。著者の山本氏は「妖怪」「超能力」と表現しています。

論理的思考能力が問われる昨今ではありますが、合理的なだけではことが進まないことはみなさんご承知のことかと思います。私たちは常に、根拠のある判断基準と、得体のしれない空気という判断基準の二つの基準をもつ、ダブルスタンダードに生きているということです。

臨在感的把握とは

臨在感的把握(りんざいかんてきはあく)とは、おそらく山本七平氏の造語であると思われます。

「臨在」という言葉はどうやらキリスト教で「見えない神がそこに存在すること」という意味を指すようで、臨在感的把握というのは、物質の背後に何かが臨済していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態です。この状態に陥ると、物質でしかないものに、何かが潜在するという無言の臨在感によって、最終的決定権を奪われてしまいます。

臨在感的把握の実例として、2つ挙げられていました。

1つ目が遺跡発掘作業での髑髏の投棄。
ある遺跡発掘で髑髏(しゃれこうべ)が出てきた際に、この髑髏を遺跡から外に持ち出して投棄するという作業が発生しました。複数の日本人とユダヤ人が人骨を運んだそうなのですが、日本人だけが体調を崩します。ユダヤ人は何ということもありません。やがて人骨の投棄作業が終わると、日本人の体調は完全に戻ったそうです。

これが意味することは、人骨・髑髏という本来は物質でしかないものが、日本人にだけ何らかの心理的影響を与えたのではないというのです。髑髏に何らかの呪いのような臨在感的把握をもったのです。

プラセボ効果もこの類かもしれません。

2つ目がイタイイタイ病はカドミウム。
ここの説明はやや思想というか、偏見というか、客観性が欠ける記述もあるので気を付けて書きます。

イタイイタイ病は公害病ですね。その原因を国はカドミウムだと発表しました。そのカドミウムが原因ではないと主張する専門書を持って山本氏のところに持ち込んだ、という人の話です。

その人は騒動のさなか新聞記者などから、「カドミウムがどんなものか?」という取材をうけたようで、カドミウムの金属棒を持ち出して「これだ」と差し出すと、記者たちがワッとのけぞったのだとか。

このカドミウムの金属棒自体はモノでしかないので、触れたからとって何の影響もないし、もしイタイイタイ病発症以前に金属棒を見たとしても何も感じなかったはず。記者たちはイタイイタイ病の原因としてカドミウムを認識し、カドミウムの金属棒=害を招くという臨在感的把握をしたということです。

江戸時代の「踏み絵」もこれにあたるのかもしれません。キリストの絵自体はモノでしかないですが、キリスト教徒は絵に臨在を感じ取り、踏むことができなかった。

あと、本にも記載がありましたが、天皇制とはまさに典型的な「空気支配」の体制。これ日本人のすごいところです。いつどんな時代でも天皇という存在がなくなることはなく、同じ人間だと認識しているにも関わらずいまの時代も別次元の存在としておわすわけです。

空気醸成法

空気とは何かを探るうえで、意図的に空気を醸成するパターン(空気醸成法)を考察しています。

例として挙げられるのが西南戦争。
西郷隆盛は国民的信望を持っていて、明治政府にとって脅威の存在でした。この西郷への同情があれば、全国的争乱になりかねないという危惧のあった明治政府・官軍側は、無関心層に勧善懲悪という状態の戦争に、心理的参加させる必要があったというのです。

そこで、空気醸成法が行われます。
つまり、「官軍=正義・仁愛」「賊軍=不義・残虐非道」の図式化です。

この実行にあたって、政府側は西郷軍の残虐人間集団の記事が出させます。たぶんに創作されたもので、官軍を「正義」、西郷軍を「悪」と臨在感的に把握して絶対化することで、両極端に分裂を産ませるのです。こうなると、西郷隆盛に同情的だった者がいようと、無駄な流血をやめようと主張した者がいようと、そんなことが言える空気ではない状態になってしまいます。

お分かりですね。分断化をすると、分かりやすい対立構造になり、二方向から空気の支配が出来上がります。私たちはもう身動きが取れなくなってしまうのです。

双方を「善悪という対立概念」で把握せずに、一方を善、一方を悪、と指定すれば、その規定によって自己が拘束され、身動きできなくなる。さらにマスコミ等でこの規定を拡大して全員を拘束すれば、それは支配と同じ結果になる。すなわち完全なる空気の支配になってしまうのである

『「空気」の研究』p54

これは恐ろしいことで、例えば「これは差別だ」と絶対化することによって、それを主張した人自身が「差別」の枠から出ることができなくなってしまうのです。これが行き過ぎると、戦艦大和、終戦前の日本のように、一億総玉砕というような極端な発想に行きついてしまうのです。

2020年に新型コロナウイルスによって在宅ワークされる方が増えて、多くの人が気が付いたと思うのですが、空気づくりの後押しをするのがマスメディアということは間違いないでしょう。どういう意図を持ってかはわかりませんし、対極的な構図を作ったほうが分かりやすいからというのもあろうでしょうが、ワイドショーなどは真に受けるものではないですね…

水を差す(通常性作用)

今までの通常性の基準が一瞬に崩壊したと思った瞬間、その通常性に生きていた者は全員が虚脱状態になる。終戦時にやや似た現象が見られたが、人はすぐに、自らの通常性は少しも崩壊しておらず、消え去ったのは巨大な力をもつかに見えた”空気”の拘束という虚構の異常性だったことに気がつき安心する。そしてその異常性を演じていた人びとも、実は、”怪獣のぬいぐるみ”で息がつまりそうになっており、内心では、何とかそれを脱いでほっとしたかったのだということにもすぐ気づくのである

『「空気」の研究』p110-111

さて、では私たちが「空気」の支配に全く無抵抗だったのでしょうか。そうではありません。わたしたちは「水を差す」ということを知恵として所持しています

誰かに水を差された場面を思い出してください。その場を包んでいた空気がいとも簡単に崩壊したのではないでしょうか。水は、人が口にすることによって即座に人々を現実に引き戻す効果があります。「空気を読まない」というのともちょっと違う気はしますね。空気が読めない人は、別に水を差して正常な状態に戻そうとしているわけではありません。

本書では、通常に戻そうとする作用は、水がその場を形成する空気に差す連続的なもので、雨のようなものとして例えられています。

通常性というのは、こうして空気に水を差すことによってアウトプットされるものなのですが、戦艦大和の特攻のときなどは水を差せる空気がなかったということにほかなりません。

情況倫理

では、雨に打たれて修正されたものがそのまま通常性になるかというと、実際はそうはなりません。極端ですが、戦国時代の通常性と現代の通常性は同じではありません。

「あの状況では、ああするのが正しい」が「この状況ではこうするのが正しい」ということは多々あるのではないでしょうか。つまり、私たちの日常というのは、場所によっては矛盾をはらんでいるものの、あるグループやコミュニティのなかの倫理観によって、日常が異なるということです。

それを本書では「情況倫理」と呼んでいます。

「空気との違いは何なのか?」という疑問が湧いてきて多少ややこしいのですが、空気とは説明が一切できないものであり、情況倫理というのは説明ができるものです。

情況倫理は例えば新型コロナの一連の話で言えば「人類史上で経験のない正体不明、未知のウイルスなので、最大限のリスクを考慮してロックダウンする」という説明が付きます。

それに引き換え、空気は「そろそろ正体は分かってきて、対処法もできてきたけど、世間の空気から再びロックダウンする」というようなことです。

当時の空気ではと同じ論理だが言っている内容はその逆で実情すなわち対応すべき現実のこと
空気と違ってその状態を論理的に説明できる

こうした情況倫理を通して、私たちの新たな日常が構成されていくのです。

まとめ

まとめができたのは本書の目次でいう、『「空気」の研究』、『「水=通常性」の研究』の2つのみ。もうひとつ『日本的根本主義について』というのがあるのですが、これに関してはさっぱり…。時間があるときによく読み込んでおこうかなと思います…

さて、空気について大変勉強になりました。どのように空気を理解するかにあたっては、山本氏の言うように空気醸成法を理解するのがもっとも分かりやすかったです。

二極化すると対立構造として分かりやすいですし、対象にそれぞれレッテルを張るともう思考が金縛り状態になります。日々、さまざまなメディアで、多くの人の思考が単純化しているように見えるのを危惧しています。その意見を読むだけでも思考が偏っていってしまう感覚。

よく新聞は一紙ではなく、複数を読み、同じテーマについてそれぞれの視点を見ることを説いていますが、改めて自分好みの世界以外にも目を通すことが重要だなと思いました。

本の目次

『「空気」の研究』の表紙
『「空気」の研究』の表紙
  • 「空気」の研究
  • 「水=通常性」の研究
  • 日本的根本主義について
  • あとがき

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