Amazonほしい物リストを使って、誕生日に本をおねだりした中に入れておいた漫画の1冊が『キングダム59巻』。9月当時、この59巻が最新刊として発売というタイミングだったため、毎回最新刊を購入していたわたしにとって、9月後半の誕生日の開封まで待つことは苦行でしかありませんでした。(ちなみに、頂いた本の中で一番最初に読みました。37冊分の梱包を開けている最中に)
『キングダム』ってメチャクチャ面白い。リーダーシップ的な観点からビジネスマンにも人気だったりするわけですが、わたしの場合、そういうところは別に重要ではなく、単純にキャラクターの魅力であったり、戦いの面白さがあって、どんどん引き込まれていったんです。
したがって、「すげー」「かっこいー」とは共感というものは実はありませんでした。
ですが59巻はカッコよさというよりは、後半に漂う無念さや悲哀、その象徴である李牧の背中とセリフに共感せざるを得ません。キングダムを読んで初めての共感発生ですよ。
ということで、いつもは読んだ本のアウトプットの場として要約を書いていたりしますが、さすがに漫画に要約はできないので、ちょっとした感想など書いてみたいと思います。
「さすがにちょっと疲れましたね」
59巻はキングダムのパターンでもある、1つの大きな戦いが終わり、論功行賞、そして新たな展開という巻でした。このところずっと趙との戦いが描かれていたので、久々に解放された感があります。内容は次の3つに分解されます。
①秦VS趙の大戦終結
②論功行賞
③趙内部の混乱
もはや①の結果には驚きもしません。王翦さんすごいです、以上。②の論功行賞は、信が「李」姓を与えられたというのが大きなポイントですね。第1話冒頭で未来のどこかの場面で多くのモブたちに「李信将軍!李信将軍!」とか言われている光景がようやく着地。
「李」は「すもも」と読むらしい。漂が嬴政の影武者になる際、嬴政が食べていたのが「すもも」。漂も姓を決めることになったものの思い浮かばず、「すもも」から李と付け、信もそれでいいというエピソード。新には姓がない時点で、どこかで姓が付けられるストーリーがあると思っていたものの、大したエピソードでもなかったなという印象なのが正直なところ。
で、③の趙の内部の混乱のなかでの李牧の立ち回り、それが報われなさそうな悲哀に強く共感したんです。
趙の王である悼襄王が暴君であることはこれまでも描かれてきました。その悼襄王が何者かに毒殺されます。漫画内では誰によって殺害されたかは分かっていません。その跡を継ぐのが太子嘉と思われましたが、いつの間にか作られていた遺言によって、廃嫡させられ、末子の遷が王位に立つことになりました。のちに幽繆王と呼ばれます。
この遷という跡継ぎは、裸の女性を馬にして手綱引いて乗ってるというイカれてらっしゃることが明らかな状態だし、その母もどう見ても心が腐ってそうなのに、なんでこういう選択なっちゃうんでしょうね(演出か)。
ちなみに、王の名前というのは亡くなった後につけられるので、実際には悼襄王も当時はそう呼ばれていなかったと思います。そしてだいたい「幽」とつく王は暗君で、褒姒(ほうじ)という中国で有数の美女に挙げられる女性に惚れ込んで滅亡した西周の幽王が有名です。
歴史ありきの漫画なので、李牧と超国の忠臣たちに同情せざるを得ません。
さっそく、遷は邪魔な元太子の嘉を暗殺しようとします。もはや暗殺じゃないくらい派手に襲ってきますけど…。李牧はこの追っ手から嘉を逃そうとしますが、国を挙げて四六時中、襲撃を受けます。
すでに李牧は反乱分子なのです。
多くの読者が気が付くと思いますが、逃走中の李牧の目に注目。
つかのま馬車のなかで嘉に声をかけます。
とにかく生き延びるのです
『キングダム59』p212
このとき、李牧の目から光りが失われています。この目の表現にぞっとしました。絶望の先に光を見いだそうとする李牧ですが、その顔にあるのは今まで圧倒的な存在として輝いてきた李牧の見たこともない「疲れ」。嘉に対してはまだ凛として、落ち着きながら発せられている言葉とは裏腹に、その目に疲れが宿っている。光は失われているものの、見せようとしている雰囲気が見えます。それにも関わらず目が合ってないような、焦点があっていないような。
畳みかけるように夜営の帳のなかでのシーン。李牧の表情は見えません。カイネの言葉に返事はすれど振り向きません。そして59巻の最後のシーンではついに吐露してしまう。
さすがに ちょっと疲れましたね
『キングダム59』p221
死力を尽くしてがんばっているけど、効果がない、太刀打ちできない、負けが見える、ことごとく上手くいかない。それでも何とかしないとと思ってまたがんばるのに、まったく何も変わらない。自分の非力さを感じたときに、口にしたことのある人っていませんかね。
わたしはこれ、何度かあります。
一国を背負うほどことなどないでしょうが、ビジネスシーンに置き換えると、今回の李牧のような悲壮感と絶望感を持ったことのある人もいるんじゃないかなと思います。懸命にやっていても目標にたどり着くどころか逃げていき、八方塞がりになってもそれでも足掻いて、ふっと口にしちゃうような。
キングダムを読み始めたきっかけ
ところで、わたしはキングダムが大変な勢いになる少し前に、手を出し始めました。多分20巻代だったころだったと思います。
今、所属している会社ではソーシャルゲーム事業(それもmobageとかGREEの全盛のころの話)でディレクション(と言いながらサポートまでなんでも)をしていたのですが、平日は終電近くまで、土日も仕事があったり。なんなら3日くらい家に帰らないという
身体は動かそうとスカッシュをやっていたのですが、バコバコ音が響く施設から開発会社さんと携帯でバグの修正依頼とかこれはやれるやれない、ユーザーに補填出す出さないとか、必死だったけど今にしてみれば不毛なやりとりしてたな。懐かしい。
そんな仕事に埋もれるなか、憩いとモチベーションを保とうと作ったのが、1週間に1冊だけ漫画を買うというルーティンでした。
最初は『宇宙兄弟』からスタートしたんです。『宇宙兄弟』もすっかり魅了されました。子どもに読ませたい本No1です。子どもいないけど。
「宇宙兄弟の続きが読みたい…!」毎日そんなモチベーションで持ちこたえる日々。
ですが、『宇宙兄弟』は今日現在(2020年11月)でも終わっていないので、最新刊まで行きついてしまうと別の漫画に移行するという感じで「1週間に1冊」という習慣は続けていました。そこからはウシジマくんとかも買った気がしますが、長続きしない漫画もありました。
そんなときに手にしたのが『キングダム』。
面白かった。面白過ぎてルーティンが破壊されてしまいました。かたくなに1週間に1冊というルールを守っていたのですが、なんなら1日で3冊とか買っちゃったし。なんてこった。
主人公の李信については、これっぽちも知りませんでしたが、もともと中国の歴史、特に春秋戦国時代が好きだったということもあり、あの人物はどう描かれるんだろうという期待感もありながらどんどん虜になったんです。呂不韋四天王の李斯とかあんな感じで登場するのに、このあとどうやって秦の統一に関わっていくんだろうとか…
気になっているのは、
・始皇帝暗殺未遂(まだ見ぬ荊軻や樊於期)
・楚の項燕(項羽のおじいさん)
・韓非(韓非子をまとめた人、李斯にはめられる人)
始皇帝暗殺って、小説や映画によくなるテーマですよね。正確に言うと始皇帝になる前の話であることがほとんどなのですが…。「風蕭蕭として易水寒し」と詠って秦に赴いた荊軻。キングダムではどのように描かれるのでしょう。幼いころ政と仲が良かったという燕の太子・丹や、キングダムにすでに出てきてキーパーソンにもなる樊於期の扱い。気になります。
楚の項燕はきっとラスボス的な感じなんじゃないかなと思われます。韓非の話は政争的な話なので、戦争と戦争の間に描かれるのかもしれません。作中でも李斯の口から韓非の名前がでているので、登場はするはず。
ちょっと脱線しましたが、「さすがにちょっと疲れた」ことがある1つが、まさにソーシャルゲーム事業。僅かに2年半くらいだった気がしますが、5本のゲームタイトルに関わりました。当時はソシャゲが飽和状態に近づいているところで、焼きまわしのようなゲームも多く、しかも弱小企業は早くロンチしたほうがユーザーを囲い込みできるチャンスがあり、一刻も早くロンチすることが目標になっていました。
そんな状態でロンチするものだから、もうずっとバグ対応。何かを直したら何かが壊れる。同じシステムを使って見た目だけ変えて別のゲームも作る… 誰の何のためにやってるんだろう。さすがに疲れますよ。でも今でもその中の1作は、いまだに続いている(ある時点で売却した)ようなので、それだけはすごいと思う。
実は大学入試の小論文で李牧を書いていた
最後にわたしと李牧のエピソードを1つ。
お題は忘れてしまったのですが、大学入試の小論文で李牧について書きました。
私が大学入試(付属の内部推薦だったか)を受けたのはたぶん2002年なので、この時点で李牧なんて知っている高校生は私だけだったのではないかと自負しております。
李牧について初めて知ったのが田中芳樹の『中国武将列伝』でした。中学・高校と吉川英治の『三国志』『水滸伝』に始まり、宮城谷正光の『重耳』『奇貨居くべし』などへ発展していった中国の歴史小説への傾倒があり、日本の戦国時代や幕末にはさして興味は覚えなかったものの、あまり話せる友達がいない、中国の春秋戦国時代は特に没入しました。そのなか、『中国武将列伝』で今まで聞いたこともない武将が書かれていました。それが李牧です。
田中芳樹も李牧については「日本では全く無名」「でも中国では有名」というようなことを書いていた気がします。このアンバランスさがニッチを求める分かるやつを演じたい、わたしに刺さったんじゃないかと思います。
(おまけ)漫画のメディア展開
『キングダム』人気に火が付いたのって何のタイミングだったんだろう。アニメでしょうか。わたしが読み始めてから1年後くらいにワッと盛り上がってきた覚えがあります。
でもアニメ版キングダムを観たのですが、正直なところ観続けることができなかったんですよね。2話までしか観ていないんです。やめてしまいました。
逆に『鬼滅の刃』はアニメしか観ていなかったりしていて、『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』を観て目に涙を蓄えるまでになっています。たまにSNSなどで漫画版の写真やスキャンのような画像に出くわしますが、アニメほどの躍動感・緊張感はないのではないかという印象を持ったりします。キングダムと鬼滅の刃のそれぞれのアニメ版の好みは、加えられる演出とアニメーションの効果の使いどころの差にあるような気がします。
『キングダム』は実写版も公開されました。大沢たかお演じる王騎は、公開前のニュースなどを観るとものすごい不安がありましたが、いざ観てみると全然いけるし、全体的に実写版は楽しめました。
以前は漫画の実写ってことごとく地雷の感があったものの、評判のよいものが増えている気がします。一方で、『鬼滅の刃』の実写はなんかイメージが付かないんですよね。あんな少年、誰も演じることできないでしょ…
とりあえず、キングダム実写版の続編を楽しみに待ちたいと思います!