『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』の書評とサクッと要約|任天堂元社長とほぼ日との対話

岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 Amazonほしい物リスト2020
岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。(ほぼ日刊イトイ新聞)

まず、「岩田さんて、だれやねん」という人も多うのではないかと思います。岩田悟(いわた・さとる)さんは任天堂の社長だった方で、すでに故人です。55歳という若さで亡くなりました。本は岩田さんが亡くなったあとに編集されています。

2020年、新型コロナウイルスの蔓延によって、ゲーム関連企業が業績を大きく伸ばしています。圧倒的なのがソニーと任天堂。ソニーは、もはやエレクトロニクス分野だけではなくて、金融からアニメまで網羅する多角的すぎる企業になっていますが、任天堂はほぼゲームのみでグローバル企業になっている。

わたしが小学生の頃、スーパーファミコンが全盛でした。高学年になると突如として、セガサターンとプレステという、スーファミ(というか任天堂)の牙城を崩しにかかる勢いの据え置機が登場したのは、めちゃくちゃ記憶に残っています。なぜならどのハードを親におねだりするのか、超悩むからです。

当時の子どもにとって、そのゲーム機を選択するかは賭けのようなものでした。だってお父さんお母さんは、ゲームに興味ないから数万円もするものにお金を出してくれません。ニンテンドー64、プレステ、セガサターン。どれも高かった…

結果、据え置機の市場では、任天堂はソニーのプレステの後塵を廃し、携帯機市場でポケモン頼みのようになる形に。でも岩田さんが就任後、開発・発売されたニンテンドーDSとwiiは、これまでのゲームファンじゃない人たちをゲームという市場に巻き込み、急激に存在感を取り戻しました。その後またスマートフォンというゲームチェンジャーの登場によって、連続赤字という苦戦を強いられるわけですが、ポケモンという強力なIPを武器に『Pokémon GO』でスマホアプリ市場で、そして、ニンテンドーswitchで据え置機の市場ではファミリーにがっつりグリップさせて、再び浮上。

任天堂のボラティリティがすごいわけで、つくづく事業ポートフォリオが偏っていると辛いんだな、と思うものの、ニンテンドーは市場環境が変わっても、どことなく一貫してる。

それが、『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた』を読んで、ちょっとわかった気がするのです。それは岩田さん個人の哲学もあるだろうし、岩田さんの前の社長である山内溥さんの、ビジネス戦略的な考え方でもあったと思います。それは「ゲーム人口を増やすこと」「戦わないこと」。糸井重里とも交流深いというのも味わい深く、「大人も子供も、おねーさんも。」というキャッチコピーの『MOTHER2』というゲームをプロデュースした糸井氏と通じるのは、こうした考え方があったからなのかなと思います。

ちなみに、岩田さんは高校時代から「札幌にとんでもない高校生がいる」といわれるくらいのプログラマーだったそうなのですが、とにかく謙虚。『MOTHER2』のように問題が起こったプロジェクトに急遽参加することになっても、安心感を与えてみんなを導いていく。糸井氏によれば、岩田さんは「みんながハッピーであることを実現したい人」だそうです。それは従業員にも向けられるし、消費者にも向けられる。

また、本に載っている言葉の数々は首尾一貫している。人から何か質問されて答えるとき、「今までやってきたすべてのことと一貫しているどうか?(p211)」を考えるそうです。

それがニンテンドーDSやWiiという、「ニンテンドー大丈夫か?」と言われるようなモノを出す原動力につながっているんですね。事実、ゲーム人口を広げたし、既存の延長線上ではないところで戦うことができたわけです。

偉人に入る部類の人なんでしょうね。勉強になるー。

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本の概要と要約

『岩田さん』編集者の問題提起
『岩田さん』編集者の問題提起

編集者(ほぼ日)の課題
岩田さんがいなくなり、ゲームファンだけではなく、私たち(ほぼ日)も心の一部がなくなったように思えた。岩田さんの言葉の多くはWEBに公開されているがやがて埋もれていってしまう。

解決方法
ほぼ日刊イトイ新聞に掲載された、岩田さんの言葉を再構成して本に残す。

岩田聡さんてこんな人
岩田聡さんてこんな人。
岩田さんの考え方。
岩田さんの考え方。

内容
●岩田さんてこんな人。
ー高校時代
 -プログラミングできる計算機にハマる
 -そのメーカーであるHP代理店に送り「とんでもない高校生が札幌にいる」とうわさされる
ー大学時代
 -池袋西武百貨店のPC常設コーナーでコミュニティ獲得
 ー店員の一人が起業したHAL研にバイト
ーHAL研究所時代
 -2年目に任天堂からファミコンが発売
 -任天堂と仕事がしたいとアプローチし、仕事もらう
 -ピンボール、ゴルフ…星のカービィ大ヒット
 -MOTHER2立て直し
ー任天堂時代
 -ニンテンドーDS、Wiiをプロデュース
 -任天堂社長に
ー人物
 -糸井重里「ハッピーを実現したい人」
 -宮本茂「力があるのに謙虚」

●岩田さんの考え方。
ー経営
 -自分の得意を自覚したうえで優先順位をつけること
 -飛びながら飛行機を修理するようなもの
ー人とチーム
 -苦労を上回る「評価」「ご褒美」が必要
 -社長が「こうしたい」だけでは腹落ちしない
ー個性
 プログラマーだったから…
 -ボトルネック解消の重要さがわかり
 -課題分析と解決の糸口が見つけられ
 -問題が自分側にあると考えることができる
ー信念・思考
 -「なんとかなる」とリーダーが思うこと
 -プログラマーは「ノー」と言ってはいけない
 -なぜ?の追求が好き
 -ゲーム人口の拡大が目標

岩田聡(いわた・さとる)さんとは

岩田さんは、元任天堂代表取締役社長。HAL研究所という開発会社から任天堂にスカウトされ、2年後に就任しいます。2015年、胆管腫瘍のため亡くなりました。

本書でも、第1章「岩田さんが社長になるまで。」で、高校時代から任天堂社長になるまで、どんな道を歩んできたのかが描かれています。そのあたりの詳細は口述のまとめに譲ります。

岩田さんは高校時代、すでにプログラミングに興味を持ち、大学時代には西武百貨店で集まるプログラマのコミュニティのなかで過ごし、店員が起業したHAL研究所という開発会社にアルバイトで働きます。大学を卒業すると、そのまま正社員となります。

東京工業大学というエリート街道ともいえる道を歩んでいましたが、当時、どベンチャーだったHAL研への就職。これは親の猛反対を生んだそうです。岩田聡さんの父は、室蘭市長を4期16年も務め、就任当時は財政難だった室蘭市を健全化させたという人。岩田さんがHAL研に入社した時代はバブル景気という状況もあり、岩田さんなら選べるはずの安定企業より、ベンチャー就職というのはかなり理解が得られにくかったのかもしれません。

その後、HAL研では数々のヒット(『ピンボール』『ゴルフ』『バルーンファイト』『星のカービィ』など)を生み出し、任天堂へ移籍し、社長へ。任天堂に移った時にはすでに時代の社長にというのが前提だったと思われます。

HAL研時代は33歳で社長になって借金状態だった会社の立て直しを図ったり、海外出張のため英語を話さなければならなくなるなど、本人の学習習慣や適応していく能力が優れていたようです。

親交の深かった糸井重里氏が運営する、ほぼ日刊イトイ新聞では、ほぼ日で掲載された岩田さん関連の内容をまとめた『岩田さんのコンテンツ。』が組まれています。『今日のダーリン』で岩田さんについて3日連続で書かれているのはとても印象的。

任天堂の公式サイトでは、自らが広報となり任天堂の開発現場の情報を発信する企画『社長が訊く』のコンテンツが、多くにアーカイブ化されています。

本の解説と感想

岩田さんが社長になるまで

岩田さんは高校時代から岩田さんです。岩田さんは、誰かがハッピーになると自分もハッピーになるという人でした。

高校生のとき、プログラミングができる電卓があったそうです。1+1の答えすら普通に出せない電卓なんて普通は誰も楽しまないものですが、岩田さんは違います。隣の席の友達に自分がその電卓で組んだプログラムを披露し、楽しんでくれているのを糧にプログラマーとしての素養を身に着けていきます。

人間はやっぱり、自分のやったことをほめてくれたりよろこんでくれたりする人がいないと、木には登らないと思うんです。ですから高校時代に彼と出会ったことは、私の人生にすごい良い影響を与えていると思いますね。

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p18

この時の経験は、岩田さんの「注いだエネルギーに対する評価」に通じて、人的マネジメントの方針にもつながります。

この時代のエピソードとして、電卓のメーカーだったHP(ヒューレットパッカード)の代理店に、自分が組んだプログラムを送ったところ、のちにこんな事態になっていたことを知るそうです。

ものすごく驚かれたらしくて「とんでもない高校生が札幌にいるらしいぞ」と先方は思ったそうです。

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p17

大学時代は、いよいよプログラマーとして進んでいきます。

池袋西武百貨店に、日本で初めてのパソコン常設コーナーができたらしく、そこに入り浸るようになります。当時はインターネットで同じ趣味の人を探すなんてことはできなかったわけで、そのコーナーに行くと自分と同じ趣味の人たちが、自分のプログラムを見せ合うという場ができたわけです。東京中のプログラマーが集まったんでしょう。やがて店員の一人がHAL研究所を立ち上げるときに、岩田さんとそのコミュニティのメンバーをアルバイトとして誘います。

HAL研究所という会社は「そこらのプロ顔負けの能力を持ったバイトの子たちを集めることに偶然成功した会社」だったといえます。

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p20

という立ち上がりを、奇跡的に実現したHAL研究所に、大学卒業後そのまま就職することになります。

岩田さんが入社して2年目に、任天堂からファミコンが発売。岩田さんはファミコンを見て、「任天堂と仕事がしたい」と強く思い、仕事をもらうところに漕ぎつけます。『ピンボール』や『ゴルフ』などの開発手掛け、楽しい世界で過ごしていたわけですが、33歳になったときにHAL研究所の社長になります。ところが、これは順風満帆なわけではなく。HAL研究所は15億円という借金を抱えていました。

HAL研の社長になってから、岩田さんの経営手腕が発揮されていきます。

経営危機に陥った会社というのは、社員から見たら不信のかたまりですよね。だって、「会社の指示に従って仕事をしていた結果がこれか?」と思って当然ですから。

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p25

経営難に陥った会社で働く人たちは、

言いたいことは言ってもらいますし、言いたいことを言ったあとだったら、ある程度、入るんですよ人間って

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p30

面談での心得ですね。今風に言うと傾聴力でしょうか。こういう形で接してくれれば『心理的安全性』も築けていけそうです。

いちばんたいへんなところに自分が行くのが、会社の生産性にとってもっとも合理的であり、それと同時に、「岩田にものを決められること」に会社の人たちが納得するためには、問題解決の姿を目の前で見せることが、一番いいじゃないですか。「あの人が決めるならまあ納得しよう」と言ってもらうのに、こんなにいい方法はないんですよ

p34

背中で語るってやつでしょうか。意思決定は情と理が介在します。多少強引な意思決定をしなければならないときの説得性を持たせるために、パーソナルな実績や結果も大切な要素です。

『星のカービィ』という人気シリーズがあります。今でもグッズが販売されていますね。

一作目の開発中は『ティンクルポポ』というタイトルで2.6万本の受注までしていたそうです。ですが、任天堂の宮本茂氏がこのまま出すのはもったいないという言葉によって、発売を中止し、改良するという判断をとりました。当然、受注をもってきた営業からは反感があるわけですが、結果として500万本を売るというメガヒット。これはうまく行った例かもしれませんが、岩田さんの力が可視化されたエピソードとして、従業員に残ったのでしょう。

岩田さんのリーダーシップ

経営

自分たちは何が得意なんだっけ、ということを自覚した上で「なには、なにより優先なのか」をはっきりさせること。順番をつけること。それが経営だとわたしは思います

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p44

岩田さんのマネジメントは、とてもシンプルで首尾一貫としている。この本から学ぶところは非常に多いです。例えば得意不得意とその評価について。

同じくらいのエネルギーを注いでいるはずなのに、妙に喜んでもらえるときと、あんまり喜んでもらえないときがあるんですよ

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p44

例えば同じ時間をかけてやることでも、苦労したと思ってないけど周囲が評価してくれると、それは得意なことでありどんどん伸びる。これは逆に言えば、苦労しても評価されないときはただ辛くなるだけ。苦労に見合った分のご褒美がないからです。

問題解決の考え方

また、プログラマーだからこそたどり着いている境地もあるようです。それは以下のような言葉からもわかります。

プログラムの世界では、よく、「全体のなかの1%の部分が、全体の処理時間も七割から八割を消費している」などといわれるぐらい、そこばかりに何回も処理しているということがありえます

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p48

これは、オペレーションマネジメントの優先的に取り掛かるべき課題解決の基本的なことで、岩田さんはこのことから「ボトルネックより太いところをいくら直したとしても、全体はちっとも変わらない」と述べています。

謙虚さ

成功体験した集団を、現状否定して改革すべきではないと思います。その人たちは善意でそれをずっとやってきて、しかもそれで成功して生きている人たちなんですから、現状否定では理解や共感は得られないんです

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p50,51

岩田さんは、自分が助っ人としてプロジェクトに参画しても現状を否定しません

これはHAL研究所の経営危機のときもそうですが、岩田さんがたどり着いた経営哲学の一つでもあるようです。

『MOTHER2』は、開発途中にどうしようもなくなったときに岩田さんが救援し、その後1年で発売に漕ぎつけたそうです。参画したとき開発陣の糸井重里さんらに「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります」「イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」という選択肢を用意しました。開発陣は後者を選択したそうで、その1か月後に岩田さんがゲームを動かしてみせたそうです。開発陣は驚いて喜んだそうですが岩田さんは、今まで作った素材があったからできたという感想。

ここにはいくつもの教訓が含まれています。

・現状困難にぶちあたっている人に選択させること。これはプロジェクトに全然知らない人がいきなり来て、「こうする」と言っても、言うことを聞かない場合があることを防ぐ効果がある。
・実際に、「なんとかなる」を実践すること
・今までに感謝すること

岩田さんのマネジメントって本当に一貫している。

印象に残った、岩田聡さんの名言

本書はいいことが書かれすぎていてなかなか、まとまらないですね(笑)
なので、すでに引用したところ以外に、本の中に書かれている、岩田さんの言葉を抜粋しておきたいと思います。

バカもん!と言われやすい人は、ものすごくたくさんのことを短期間に学べるんです

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p56

これは真理ですよね。たまにすごい怒られる人っていますよね。すごいっていうのは量的に。そういう人って不思議と数年後には出世していたり、今度は後輩にいろいろと教えることができる立場になっていたりします。「バカもん!」と言われる人って、逆の立場から言うと、「バカもん!」て言いやすい人なんですね。そうして「これはこう!」というのを教える機会がその人にはどんどん増える。

でも「バカもん!」と言って傷つく人もたくさんいます。そこは難しいところですが、一つ言えるのは慎重に生きていると、学習スピードはとにかく遅いということ。だっていつまでたっても軌道修正できないから。

自分にはないものをその人が持っていて、自分にはできないことをやっているということに対して、敬意を持つこと。この敬意が持てるかどうかで、働くことに対するたのしさやおもしろみが大きく変わってくるような気がするんです

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p61

謙虚と好奇心でしょうね。自分にできないことを理解できないとそっぽを向くんではなく、興味を持たないと、敬意まで持てません、経営者としての才覚は、少なくとも自分に不足することを認め、自分が不足していることを持っている人を認める、あるいは理解しようとすることではないでしょうか。

どの程度たいへんかということを漠然と知りつつも、
「なんとかなる」という前提でいる。
リーダーって、そうじゃなきゃいけないんですよ

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』68

岩田さん、これ実践してますよね。「なんとかならなかった」とき、どうするのかだけが心配ですが、でもリーダーが「なんとかならない」と思っているチームにいたくないですよね。

才能というのは「ご褒美を見つけられる能力」のことなんじゃないだろうか

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』82

わたしが見つけた「天才の定義」があります。
「人が嫌がるかもしれないことや、
人が疲れて続けられないようなことを、延々と続けられる人」
それが天才だと私は思うんです

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p136

よく、努力は才能と言います。でもどんな大変な努力でもそれが報われなかったら続けることは難しいと思います。たとえば受験。高校生は大変な苦労をするわけですが、受験一発だけだったらたぶん続けられない。過去問とかが解けるようになったという小さい体験、模試で前回よりもいい順位だった、など喜びがあると持続性が違ってくると思います。という意味で自分なりに「ご褒美」を見つけられるのが努力の天才なのかも

英語学習のメソッドでも、TOEICを受け続けるというのが良いというものがありますが、あれってまさにそれだと思うんですよね。ちょっと進んだ、ここがダメだからこうしていこうっていう。筋トレやダイエットも過去の成功体験があるなしでは、違うと思うのです。

私は人と人とのコミュニケーションにおいても、うまく伝わらなかったらその人を責めずに、自分の側に原因を探すんです

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p84

これはすごい。『敵とのコラボレーション』で、「たいていの人が、問題の原因はあっちにある、と思っている」と書かれていますが、人間は人のせいにするほうが楽なので、どうしても敵化してしまう傾向があります。岩田さんは、プログラマー的思考で「プログラムの世界は理詰めだから完動しないとしたら原因は全部プログラムしたこっちにある」という境地にたどり着いてしまったんですね…

個性がないところには価格競争が起こるだけ

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p122

これは、岩田さんの言葉なのか、それとも前任天堂社長の山内さんの言葉なのか不明なのですが、ビジネスの真理と、任天堂という企業ブランドの神髄が詰まっているような気がして印象に残りました。

任天堂の第3代社長の山内溥さんは「任天堂はケンカしたら負ける。よそとケンカしたらあかんのや」とおっしゃったそうですが、それはつまり「ブルーオーシャン戦略」。そして、岩田さんの大目標である「ゲーム人口の増加」は、従来の延長線上にいるだけでは達成できない。だからこそ、任天堂のハードっていつも驚きしかないんですよね。

「制約はクリエイティブの母」なんですよね

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p165

愛するということ』や『自由からの逃走』のエーリッヒ・フロムは、人間というのは自由を手に入れたことによって逆に不自由になったというようなことを言ってましたね。何をしてもいいというのは、実はヒントがなくて創造性は高まりにくいです。ルールがあるから楽しいこともあるし、思いもがけない抜け道が考えられたりするんですね。

初めての質問をされたときは」自分がここで答えることは、自分がいままでやってきたすべてのことと一貫しているかどうか?」ということを考える

『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』p211

岩田さんは、即答できる質問については過去に考えたことがあると確信持っているようでした。人生で一貫性を持とうとしていることが伝わります。本書を読んでいても、本当に言葉のひとつひとつが、連なっているように思います。

まとめ

ゲーム業界の人って何となく、経営には疎いのかなって思い込みもあったりしていました。岩田さんは、HAL研究所以降の言動からは経営哲学のようなものが形成されていて、会社経営を「飛びながら飛行機を修理する」という風に言いながら、モノづくりの動機であったり、従業員のマネジメントであったり、かなり先進的なマネジメントをしていたように感じます。

本書は、『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。 』というタイトルの通り、岩田さんがインタビューに答えるような構成になっています。その言葉のひとつひとつにマネージャーやリーダーとしての大きな事例として参考になる一冊でした。

本の目次

  • 第1章 岩田さんが社長になるまで。
    • 高校時代。プログラムできる電卓との出会い
    • 大学時代。コンピュータ売り場で出会った仲間
    • HAL研究所黎明期とファミコンの発売
    • 社長就任と15億円の借金
    • 半年に1回、社員全員との面談
    • もし逃げたら自分は一生後悔する
    • ◆岩田さんの言葉のかけら。その1
  • 第2章 岩田さんのリーダーシップ。
    • 自分たちが得意なことは何か
    • ボトルネックがどこなのかを見つける
    • 成功体験した集団が変わることの難しさ
    • いい意味で人を驚かすこと
    • 面談で一番重要なこと
    • 安心して「バカもん!」と言える人
    • プロジェクトがうまくいくとき
    • 自分以外の人に敬意を持てるかどうか
    • ◆岩田さんの言葉のかけら。その2
  • 第3章 岩田さんの個性。
    • 「なぜそうなるのか」がわかりたい
    • ご褒美を見つけられる能力
    • プログラムの経験が会社の経営に活きている
    • それが合理的ならさっさと覚悟を決める
    • 「プログラマーはノーと言ってはいけない」発言
    • ◆岩田さんの言葉のかけら。その3
  • 第4章 岩田さんが信じる人。
    • アイディアとは複数の問題を一気に解決するもの
    • 宮本さんの肩越しの視線
    • コンピューターを的確に理解する宮本さん
    • 『MOTHER2』を立て直す二つの方法
    • 『MOTHER2』とゲーム人口の拡大
    • 糸井さんに語った仕事観
    • 山内溥さんがおっしゃったこと
    • ◆岩田さんの言葉のかけら。その4
  • 第5章 岩田さんの目指すゲーム。
    • 私たちが目指すゲーム機
    • まず構造としての遊びを作る
    • 暴論からはじめる議論は無駄じゃない
    • 従来の延長上こそが恐怖だと思った
    • もう一回時計を巻き戻しても同じものを作る
    • 二人で作った『スマッシュブラザーズ』
    • 『ワリオ』の合言葉は任天堂ができないことをやる
    • ライトユーザーとコアユーザー
    • ◆岩田さんの言葉のかけら。その5
  • 第6章 岩田さんを語る。
    • 宮本茂が語る岩田さん 「上司と部下じゃないし、やっぱり友だちだったんですよ」
      • 得意な分野が違っていたから
      • 新しいことに名前をつけた
      • 違っていても対立しない
      • 一緒に取り組んだ『ポケモンスナップ』
      • 本と会議とサービス精神
      • 「見える化」と全員面談
      • 素顔の岩田さん
    • 糸井重里が語る岩田さん 「みんながハッピーであることを実現したい人なんです」
      • 会えば会うほど信頼するようになった
      • みんなの環境をまず整えた
      • どういう場にいてもちょっと弟役
      • ずっとしゃべってる。それがたのしいんですよ
      • 病気のときも、岩田さんらしかった
      • 「ハッピー」を増やそうとしていた
  • 第7章 岩田さんという人。
    • わからないことを放っておけない
    • ◆岩田さんの言葉のかけら。その6

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