『古事記(100分de名著)』の書評とサクッと要約|日本の成り立ちの裏側も見える歴史書

100分de名著「古事記」(三浦佑之) Amazonほしい物リスト2020
100分de名著「古事記」(三浦佑之)

古今東西、神話ってなぜか面白い。『古事記』も漏れなく面白い。

とりわけ古事記の面白さというのは、100分de名著で解説されている三浦佑之さんが全体を通して描かれている、『日本書紀』との違いの部分。それは通常、国家の歴史書として時の支配者を称賛するというだけではなく、その裏側にある敗者や陰の部分に対しても感情移入できるものがあり、大和政権に統一されていった過程のなかで統合された側の鎮魂であるというもの。

日本の歴史書と言えば『日本書紀』がメジャー、というか天皇の勅撰(命じたもて編纂させたもの)した正史で、後々も『続日本紀』などに続いていく。

その『日本書紀』と同じタイミングでまとめられた日本最古の歴史書、それが『古事記』。中学校でも習ってきたはずですが、なぜ同じ時期に重複する内容も多い二つの歴史書が存在するのかっていう疑問は当時は別に考えもしませんでした。古事記は神話色が強い、というか文化的な様子を伝えるものかなという感覚がありました。で、『日本書紀』のほうが正しく伝えているものだと。

大人になってわかってくることは、「国の歴史を学ぶ」というのは、多分に現体制の正当性を浸透させようという狙いがあることに注意しなければならないということ。過去の歴史書もイデオロギーによって解釈が変えられていきます。

近代になって、『日本書紀』も『古事記』もそうしたものに巻き込まれてしまったのですが、昭和・平成とそんな考え方も見直されています。

この100分de名著のナビをもとに『日本書紀』と『古事記』を照らし合わせると、とても面白い。

『日本書紀』は、天武天皇が皇子や大臣たちに国家プロジェクトとして編纂を命じたものです。正真正銘、公にされたもので、これこそ当時の天皇の正当性を世界の成り立ちから説明しようとするものです。

一方で、『古事記』は、同じく天武天皇が私的に編纂しようとしたいきさつが読み取れます。

『古事記』の「序」によれば、天武天皇が「みんなが好き勝手に都合のいい歴史を書くものだから、本当の歴史が失われる」と嘆いて、稗田阿礼という抜群に記憶力のいい人物ひとりに口伝えし、暗誦させたというのが最初。途中で天武天皇が亡くなったため、元明天皇が太安万侶に稗田阿礼が暗誦したものをまとめさせた…という。

同じ天武天皇を発端としたものなのに、『日本書紀』は公のものなのに、『古事記』は私的にただ一人だけに伝えるという矛盾が存在しているんですね。

成立にも違いがあれば、中身にもいくつかの観点から違いがあります。

それは、『古事記』のほうが神話が多いこと、さらに一般的に歴史書はその編纂側の正当性を主張する性質があるにも関わらず、敗者の側に感情移入できる要素があったり、輝かしい功績に見えるものの裏にある陰など、必ずしも当時の天皇を礼賛し正当性を強調するものではないのです。

日本独特な「祭(鎮魂祭とか新嘗祭などの)」文化の影響があるようにも思えます。

そんな視点で古事記を読んでみると、新しい発見があるかもしれません。100分de名著って、読み方のヒントを教えてくれるからいいですね。

ちなみに、解説本とはいえ、神話の連続だからまとめきるのは無理がありました…

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本の概要と要約

古事記とは
古事記とは?の概要

古事記とは
 -「古」の出来「事」を「記」したもの
 -現存する日本最古の歴史書
 -上・中・下の3巻
 -元明天皇の命により太安万侶がまとめる
 -国の始まりから推古天皇までの事績と系譜
 -天皇の正当性を必ずしも主張しない
 -敗者の鎮魂の役目を果たしている?

古事記の内容
古事記で描かれる物語

内容

 ①天地創造
  -イザナキとイザナミが日本の8島を産む
  -イザナミがカグツチを産むとき身体が焼かれ死に、黄泉の国へ
  -イザナキが黄泉の国で腐乱したイザナミを見た不浄を洗う時にアマテラスとスサノヲが生まれる
  -スサノヲは追放された行き先で食の神を殺した結果、「種(農耕)」を手にする
  -スサノヲがヤマタノヲロチ(川・水・自然)を討伐する

 ②出雲神話
  -スサノヲの7代目の子孫オホナムヂの成長物語
  -稲羽のシロウサギ
  -スサノヲの娘と恋に落ち、逃避行、スサノヲ出雲大社を作らせる(説1)
  -オホナムヂ、オホクニヌシに改名
  -オホクニヌシの国譲り
   -アマテラスが幾度となく攻勢
   -出雲大社立てたら譲ると約束(説2)
   -ヤマト政権の全国統一を表している?

 ③人間の世界
  -コノヒメサクヤビメ(寿命の起源誕生)
  -ヤマトタケル(日本書紀では明るいが古事記は暗い)
  -マヨワの御子(天皇による当時勢力を誇った葛城氏焼き討ち)

著者:三浦佑之(みうら・すけゆき)とは

1946年、三重県生まれ。成城大学大学院博士課程単位取得修了。千葉大学文学部教授を経て、立正大学文学部教授。千葉大学名誉教授。古事記オタクという言葉があるのかどうかは分かりませんが、インタビューなどを読むと、三浦さんは「コジオタ」と自負しながら、古代文学、伝承・昔話や地方の言語などを研究されているようです。多くの出版物を出されていて、一時期よく読まれた『口語訳古事記』でも知られています。

多くの人とって身近なところでは、『船を編む』『まほろ駅前多田便利軒』の作者・三浦しをんさんのお父さんなのだそうです。

公式サイトは99年から建立され(サイト紹介ママ…)ジオシティーズを彷彿とさせ、味わい深いです…

●公式サイト
三浦佑之WEBサイト

●インタビュー記事
三浦佑之さん「読み解き古事記 神話篇」インタビュー 「コジオタ」が浮かび上がらせる古代日本の多様性(好書好日 2021.2.1)

本の解説と感想

古事記とは何か

古代における神話の存在は「われわれが、ここに、このようにある理由を説明するもの」、つまり人が生きるための根拠が神話によって明らかにされているのだと考えられます

『100分de名著 古事記』p23

古事記とは…という点については上のほうで箇条書きにした通りなのですが、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

全三巻(上・中・下)で構成され、それぞれが扱う範囲は以下の通り。

●上巻
神々の時代が描かれる

●中巻
初代天皇カムヤマトイワレビコ(神倭伊波礼毘古)神武天皇から、第15代ホムダワケ(品陀和気)応神天皇までが描かれる

●下巻
第16代天皇オホサザキ(大雀)仁徳天皇から第33代トヨミケカシキヤヒメ(豊御気炊屋比売)推古天皇

古事記の成立時期についての根拠は「序」に書かれていることしかなく、やや怪しげなところもあります。そもそも「序」の存在も『古事記』が成立して以降に加えられたものではないかという点を三浦さんは指摘しています。

というのも、『古事記』の「序」というのは、上表文の体裁になっていて、この本がどう成り立ってなぜ上奏するのかのいきさつが記されています。しかし、一般的に「序」は本文で述べる内容を説明するものなので、違和感があるというのです。

体裁としての違和感に加え、「序」にはこんな形で『古事記』編纂のいきさつが書かれています。

朕が聞いていることには、諸々の家に持ち伝えられている帝紀と本辞とは、すでに真実の内容とは違い、多くの虚偽を加えているという。今、この時にその誤りを改めないかぎり、何年も経たないうちにその本来の意図は滅び去ってしまうであろう(中略)偽りを削り真実を定めて後の世に伝えようと思う

『100分で名著 古事記』p15

ここまではいいとして、その真実の伝え方が、天武天皇の口伝えであり、受け手が記憶力がいいという稗田阿礼という人物ただ一人でした。

疑いだしたらキリがないのですが、少なくとも天武天皇が『日本書紀』の編纂を皇子や臣下に公式に命じたのに対し、裏で私的にもう一つの歴史書を書かせたというのであれば、そりゃ違和感ですよね。

稗田阿礼は誦習(書物などを口に出して繰り返し読むこと)したらしいのですが、それを元明天皇の命で太安万侶が711年9月にとりかかり712年正月に完成させたというのが成立に関する話です。稗田阿礼に関しては全く謎が多い人物で、『古事記』の「序」にしか名が残っていない人物。実在性も疑われています。

とはいえ、『古事記』自体が創作されたものということではなく、日本成立の裏側をうかがい知れるものがあり、これは『日本書紀』のように諸外国を意識して書かれている点とは違った、国内向けのものだったのかもしれません。『日本書紀』が天皇統治の正当性を主張する一方で、『古事記』は大和政権が完全な統一体である状態を表現するものになりきれていないのです。

『古事記』は、そうした観点から読んでいくと、「おもしろい!」となる歴史書です。

イザナキとイザナミの国産み

本書は全体を通して、歴史的仮名遣?なのか、「オ」を「ヲ」と書いたりと多少慣れていない形で表現されています。三浦さんの意図だと思うので、なるべく本に書かれている通りに記載させて頂こうと思います。(イザナギはイザナキ、スサノオはスサノヲ、と書かれています)

『古事記』の最初は、原初の神が産まれるところから始まります。アメノミナカヌシタカミムスヒカムムスヒという三柱の神に始まり、その最後に産まれたのがイザナキ(男神)とイザナミ(女神)。この二人と言えば国産み神話です。(タカミムスヒはアマテラス、カムムスヒはスサノヲとのちのち関連します)

イザナキとイザナミが結ばれたことによって、淡路島から始まり、四国、隠岐、九州と次々に島が産まれて日本という国が出来上がります。とんでもない話に思えますが、そうでもしないと説明ができなかったし、三浦さん曰く私たちだっていまだに解明されきってない宇宙創造もビッグバンが起こったらしい…ということを信じているのとそう変わらないと言われればその通りなのかと。ちょっと強引か。

興味深いのは、国産みは一度失敗しているところ。

最初、イザナミ(女神)から「素敵な殿方」的なアプローチをしたから失敗し、それでイザナキのほうから「素敵な乙女」と誘った結果、成功したという。これってどういう意味が隠されているんですかね。わざわざ失敗したことにしているから、伝えたいことがあるはずなんですけど。

国を産んだ二神、イザナキとイザナミは多くの神も産んでいて、これは「神産み」と呼ばれています。ですが、火の神・カグツチを産んだ際に火傷を負ったイザナミは、それがもとで死んでしまい、黄泉の国に落ちます。イザナキは嘆いて黄泉の国まで行って会いに行くのですが、腐乱したイザナミを見て猛ダッシュで逃げ帰ります。このとき不浄を清めるために川で禊をしていたとき、すすいだ左目からアマテラスが、右目からツクヨミが、鼻からスサノヲが産まれます。神、すごい。

アマテラスとスサノヲ

アマテラススサノヲの対比関係も面白いです。これはのちのちまで続きます。

アマテラスもスサノヲも神ですが、アマテラスは神中の神な感じなのですが、スサノヲは泥臭さがあり人間身があります。アマテラスはイザナキの命で天の原を治め、スサノヲはいろいろあって天ではない地上のどこか、あるいは地下の国(根の堅洲国)を治めるようになります。

スサノヲははなかなかやっかいで、最初、イザナキの命で大海を治めるように命じられますが、大号泣して拒否。あまりにも泣いたので山や海の水が枯れてしまうほどだったという。これによりイザナキに追放を宣告されたスサノヲはその前にアマテラスに挨拶しようと会いに行きます。

そのとき、スサノヲに警戒したアマテラスは「ウケヒ」という占い勝負をするのですが、その過程の中で勝ったと喜んでつい暴れてしまったために、アマテラスが怯えて天岩戸に引き籠ってしまう(岩戸隠れ)事態になります。これによって再び追放され、地上に向かうことになります。なんて悲しい男なんだスサノヲ。

そこからもスサノヲの暴れっぷりはなかなかのもの。

地上に向かう途中で、オホゲツヒメという神に食事の面倒を見てもらったのに、「なんでこんな美味しい物をたくさん用意できるんだ?」と疑問に思ったスサノヲが様子をみると、オホゲツヒメが穴という穴から食べ物や飲み物を出しているのを見て怒り、メッタ斬り(オホゲツヒメは食料をつかさどるかみだった)。

この意味不明の暴走に何の意味があるのかは不明ですが、このエピソードと次のヤマタノヲロチは、人間世界に影響をもたらしています。

オホゲツヒメの亡骸から出てきた五穀の種をもって、スサノヲは地上に行き、農耕をもたらすことになるのです。

あ、ちなみにアマテラスとスサノヲと同じタイミングで産み落とされたツクヨミは、その産まれた時だけ名前が出て、古事記ではそれ以降、一切出てきません。

ヤマタノヲロチ

ヤマタノヲロチというと8つの頭がある蛇。いつもドラゴンクエストⅢを思い出してしまいます。ジパングのヤマタノオロチ強かったな…そんなヤマタノヲロチとスサノヲの対決にも、この世の理の変化を説明する意味が込められていました。

神話の内容としては、地上に降りたスサノヲが出会った老夫婦の娘クシナダヒメが、ヤマタノヲロチの生贄になるのをクシナダヒメを妻にすることを条件に退治するというものです。この活劇っぽいエピソードですが、実は比喩が隠されています。

ヤマタノヲロチのモチーフは出雲の国の暴れ川で、自然の驚異を表しています。
一方、スサノヲは穀物の種を手に入れ、自然に手を加えた人工物の象徴になっています。

ヤマタノヲロチを退治したことは、人間が自然に打ち克ったことになり、地上の人がクシナダヒメをそのスサノヲを嫁がせたということは、農耕による実り、すなわち永続的な食料生産の道を選択したことになります。

ちなみにクシナダヒメは奇稲田姫と書かれています。

種を持ったスサノヲがその稲田の神と結びつくことで、豊饒な水田稲作が出雲の大地に開始されたことをあらわしているのです

100分de名著 古事記』p55

ここに、地上では自然神から人文神への転換が見られ、出雲の地ではしばらく子孫繁栄が続いていきます。

出雲神話

『日本書紀』と大きく異なる『古事記』の特徴として挙げられるのが出雲を舞台にした神話の数。『古事記』で描かれる神話の40%は出雲を舞台にしているそうです。

出雲神話の中心人物は、オホクニヌシミコトです。スサノヲの系譜で7代目にあたる人物(神?)です。オホクニヌシノミコトはいくつもの名前があり、幼少期はオホムナヂという名でした。

有名な神話は「稲羽のシロウサギ」。

ウサギが、隠岐の島から稲羽までの海を渡ろうと考えたとき、サメ(ワニ)にけしかけて並ばせてウサギが背を渡っていくと、最後に知恵を働かせてサメをけしかけたことを明かしてしまい、襲われた結果、ひどいケガを負います。

通りゆく神々が「海水を浴び、風通しの良い高い山の尾根の上に臥せっているといい」と言って、その通りにすると痛みがひどくなったものを、オホナムヂは「水で体を洗い、穂をとって敷き散らして、その上を転がればいい」と正しい治療法を教えて回復し、ウサギを心服させるという話です。

三浦さん曰く、これはメディカルシャーマン的な要素王者の資格の一つで、民間伝承における陸と海の対立葛藤を語るモチーフにしながら、オホナムヂの優位さを強調しているというものだそうです。

オホムナヂはこの後、数々の困難を乗り越えていきます。

オホナムヂが得た妻が美しいので、嫉妬した他の神の罠にはまって死んでしまうのですが、カムムスヒ(最初のほうに誕生した神)を中心に助けられ蘇生します。

他の神に狙われてしまうので、オホムナヂは逃げ、スサノヲが主となって納めている国に入ります。そこでスサノヲの娘スセリビメと恋におちると、怒ったスサノヲに火攻めやらいろいろと試練を与えられ続け、ついには逃避行。スサノヲは最後、オホムナヂに「オオクニヌシ」と名乗れと言い、大きな宮殿(出雲大社)を建てろと告げます。スサノヲお父さん、ツンデレですね。っていうか、自分の7代目の子孫と直の娘が結婚するって、神話ってすごいですね。

ここに出雲大社の成立を考えるヒントが眠ってまして、スサノヲに作れと言われて作ったのが一つの説。もう一つが国譲りのときに服従する条件としてアマテラスに造らせたというもの。

つまり、根の堅州の国のスサノヲに祝福されて出雲側が自ら立てたものを起源とする説と、ヤマト政権に服属する際に要求して建ててもらったという起源の二つです。

オホクニヌシの国譲り

スサノヲに認められ、出雲に根を下ろしたオホクニヌシ(オホムナヂ)は、地上を統一して国を作り上げます。

その繁栄を見ていたアマテラスは地上を、自分の御子に治めさせると言い出します。使者を遣わすのですが、使者がオホクニヌシの家来になってしまったりするなど進まず、3回目に派遣されたタケミカヅチとアメノトリフネの前にようやく降伏します。

このとき、オホクヌヌシが「住むところを建ててくれればそこから出てこない」という条件をつけたのが、2番目の出雲大社の起源です。

出雲神話の注目ポイントは、『日本書紀』では抜け落ちているものが『古事記』では描かれている点。もともとヤマト政権が統一に向かう前に、出雲に大きな勢力をもった集団が存在していたことを意味するのではないか、という想像が膨らみます。

中国の史書には、2世紀後半に「倭国大乱」と記されていて、その事件がヤマト政権が全国統一していく過程のなかで、出雲という地方の大勢力が服属するということを表現しているのが、このオホクニヌシの国譲りなのではないかというのが三浦さんが考えていることのようです。

人間の世界

国譲りのあとは、アマテラスの子孫が地上を支配していきます。地上でというと重要なことが人間の寿命。このエピソードも面白いので軽くご紹介しておきます。

ニニギノミコトという神が、筑紫の日向、高千穂に降りたのですが、そこでコノハナサクヤビメという美しい女を妻にしたいとその親オホヤマツミに求めると、オホヤマツミはもう一人の娘イワナガヒメという岩のように醜い娘を送ります。ニニギはイワナガヒメを拒否して返します。

オホヤマツミの意図は、イワナガは巌のような永遠の命、コノハナサクヤビメは花のような繁栄、この二つが合わされば永遠の繁栄が実現できるというものだった。花だけをとったニニギの命は花のように短く散るだろうと予見します。これは寿命の起源だとも取れます。

ニニギとサクヤビメの3代目が神武天皇となります。ここから人間の物語が多くなります。

なかでもヤマトタケルは印象的です。

オホタラシヒコシロワケ(景行天皇)の子で、『日本書紀』では。熊襲征討・東国征討を行った伝説的英雄、武神として描かれますが、『古事記』では暗さがあります。

ヤマトタケルには兄・オホウスがいて、その兄は父である景行天皇が妻にしようとしていた女性を横取りしてしまった気まずさから表に出てこなくなったのを、景行天皇がヤマトタケルに「諭してくれ」といったところ、それでもオホウスは一向に表に出てこない。そこでヤマトタケルに「まだ諭してないのか」と聞くと、次のように答えます。

夜明けに、兄が厠に入る時をねらって、待ち捕まえて掴み潰し、その手と足とを引きちぎり、薦に包んで投げ捨ててしまいました

100分de名著 古事記』p128

景行天皇はこれに大いに恐れを抱きます。

西方の熊襲討伐に向かわせ、帰ってくるとすぐさま蝦夷討伐に向かわせます。これにヤマトタケルは父から疎まれていることに気がつきます。そしてヤマトタケルは東国の遠征も終え帰路の途中で命を落とすのです。

『日本書紀』では、その力を認めた父によって命を受け、全国の反乱分子の制圧に尽力する正統派の英雄のはずが『古事記』では親子の確執のほか、友人を殺戮するなど陰が存在します。

最後に、『古事記』が鎮魂であるということを象徴するのが、マヨワの御子のエピソードです。

これは雄略天皇による、葛城氏という当時天皇にも匹敵するほどの勢力を誇った豪族を滅ぼす話です。

アナホ(20代安康天皇)は、叔父であるオホクサカを勘違いで殺めるのですが、その妻を大后に迎えます。その連れ子がマヨワで、つまりマヨワは親の仇に育てられるということになります。もはや展開が読めるのですが、あるときマヨワは自分の本当の父を殺害したのがアナホ(安康天皇)だということを知り、アナホの首をうち落としてしまいます。そのときの齢7つ。

マヨワは、ツブラノオホミ、日本書紀では葛城円大臣と書かれる葛城氏の家に隠れます。アナホの弟であるオホハツセ(21代雄略天皇)は怒り、ツブラノオホミの家を囲います。ツブラノオホミは、マヨワという御子が臣下の家に隠れたということが過去にない事態であることから「見棄てられるわけがない」と、ついに最後まで匿い、オホハツセに攻め込まれてしまいます。マヨワは「なすすべなし」とツブラノオホミに自分を殺せと命じ、ツブラノオホミはマヨワを斬るとそのあと自害する…というドラマチックな物語です。

『古事記』では葛城氏滅亡の話が、このように臨場感があり同情的に描かれるのですが、天皇の勅撰である『日本書紀』には、焼き討ちしたということが書かれるのみで葛城氏側の状況が伝わりません。

人間の世界になると、より情緒的な物語が語られるようになり、『古事記』は日本書紀に比べて文学的な要素が強いということが理解できます。先にも述べた通り、『古事記』は正史の裏側にも焦点をあて、陰の部分になってしまった者たちを鎮魂するという役割を果たしているという考え方は妙に納得させられます。

まとめ

『古事記』は口語訳も出ているのですが、それでも内容量は多く、なかなか読みほどくことができていませんでした。100分de名著は、解説者の目線が大いにありながらも、読むうえでの仮設立てにとても役立つので、やはり重宝したいですね。もう一度『古事記』を読んだら、その面白さを再発見できる気がします。

本の目次

100de名著「古事記」表紙
100de名著「古事記」表紙
  • はじめに 古事記とはこんなにおもしろい
  • 第1章 世界と人間の誕生
    • 古事記の内容と構成
    • 不自然な「序」
    • 古事記の成立時期
    • 世界の始まり
    • 「つくる」「うむ」「なる」
    • 人は「草」である
  • 第2章 文化と農耕の起源
    • 暴れ神スサノヲ
    • アマテラスとスサノヲのウケヒ対決
    • スサノヲの追放と五穀の誕生
    • ヤマタノヲロチと農耕起源
    • 浮かび上がる数々の対比
  • 第3章 出雲神話という謎
    • 稲羽のシロウサギ
    • オホムナヂの試練と成長の物語
    • オホクニヌシの国譲り
    • 日本書紀にはない出雲神話
    • 豊かな日本海文化圏
    • 北方系と南方系
  • 第4章 神話に見る列島の古層
    • ニニギとコノハナサクヤビメ
    • ホデリとホヲリの兄弟対決
    • 日向神話に投影されているもの
    • 出雲国風土記が教えること
    • 海と緑の深いカムムスヒ
    • 生命力を付与される場所
    • 古層に息づく母系的神話
  • 第5章 人間たちの物語
    • 悲劇の英雄ヤマトタケル
    • 父と子の確執
    • ヤマトタケルを検証する
    • 滅びの美学マヨワの物語
    • 敗者に対する共感
    • メドリの悲恋
    • 積極的な女たち
    • 古事記とは何か
    • 鎮魂のための物語
  • 読書案内
  • あとがき

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