数年前ベストセラーになった、山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』。
納得度が高いことはもちろん、読みやすさもあり、ビジネスマンにとってはかなりの良書。この本で伝えたいことはだいたい最初のほうの20ページくらいにまとまっているので、ビジネス書は全部読めないという人も安心して買っていいです!(わざわざ著者自ら「忙しい人へ」というまとめ方をしている)
今でこそ「デザイン思考」や「アート思考」という言葉が、わりと浸透してきましたが、出版された2017年とかそのあたりとなると、まだビジネス層でも感度の高い人が口にするくらいだったのではないでしょうか。もしくはまだワーディングされてなかったか。本の中にはデザイン思考という表現は出てきますがアート思考という言葉は出てきません。ただ、サイエンスとアートというこの対比される2軸が語られています。
端的にまとめると、論理はサイエンスで、直感がアート。今の時代はサイエンスだけではコモディティ化しちゃうので、個人の自己実現を満たすために情緒面に訴えないと戦えなくなるという話です。
山口周さんは、戦略コンサルティング畑の方で、もろに論理の世界で戦っていた人。その人が行きついた答えが、サイエンスを突き詰めれば「正解のコモディティ化」が進み、経済が豊かになって「自己承認欲求の市場」になった世界には対応しきれず、変化が速い今日ではルールが後追いになるため数字だけではなく自己規範が必要だということ。
以前に『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN(佐宗 邦威)』を読みましたが、佐宗さんもP&Gというマーケティングの最前線にいて、論理だけでは動いていない何かを察知してアートを学びに海外へ出たと書いてありました。論理的思考の限界というのは、ビジネスの最前線で戦っている人は特に感じているのかもしれません。
いま、ビジネスの世界では取り組む仕事への「意義」に納得しきれないと、動かない、動けない人が多いなと思っています。それは、これまで大量生産大量消費に代表されるプロダクト産業が、例えばアップルのようにモノをサービス産業化する世界になりつつあるなか、必然の流れなのかも。山口周さんが言うように、仕事を通して自己実現・自己充足を求めているということはありそうですね。
ひとりひとりの自己実現欲求は違うから、これからの組織づくり、モノづくりは大変だ…
本の概要と要約
著者の課題
論理的思考が限界を迎え、市場やシステムが変化する中適切な意思決定をするにはどうすればいいか。
解決方法
「真・善・美」に関する基準、つまり「美意識」を高める。
内容
・エリートがアートを学ぶ時代
-グローバル企業のエリートが美術系大学院大学のトレーニングを受けている
-芸術学修士(MFA)は新しい MBA である
・従来のやり方ではグローバルで戦えない
①論理的思考の限界
-多くの人が分析的、論理的情報スキルを身につけた
-その結果「正解のコモディティ化」が問題に
-差別化が消失
-市場が複雑化し意思決定に時間がかかる
②自己実現市場の登場
-世界中の生活水準が向上
-消費者の便益がマズローの5段階欲求の上層に意向
-デザイン、ブランド、感性が重要に
-あらゆる事業がファッションビジネス化
③急激な変化にルールが追い付かない
-経済性だけを求めとグレーゾーンから黒へ
-倫理から逸脱した結果、後出しジャンケンで犯罪者になることも
・どのような解決方法があるか
-アート、サイエンス、クラフトのバランスを保つ
-直感的な解から試行錯誤する
-世界観とストーリーで共感を得る
-誠実性というコンピテンシーを高める
-総じて美意識を高める
・美意識とは
①真
-何が真か
-論理的推論だけではなく直感に基づく意思決定も行う
②全
-何が全で悪か
-法律だけでなく内部的な倫理、道徳に則って行う
③美
-何が美か
-顧客や市場の調査からではなく、自らの美意識、審美感性へ転換していく
著者:山口周(やまぐち・しゅう)とは
1970年生まれ。人文科学と経営科学の交差点で活動。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)を経て、コーン・フェリー・ヘイグループで文化政策立案、組織開発等に従事。ライプニッツ代表。著書に『ビジネスの未来』『ニュータイプの時代』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』『ビジネスの未来――エコノミーにヒューマニティを取り戻す』など多数。
●インタビュー記事
美意識の正体について 山口周さんと 対談してみました(面白法人カヤック社長日記 2018.7.23)
山口周氏インタビュー(PARADOX)
●SNS
Twitter:山口周(@shu_yamaguchi)
本の解説と感想
論理的・理性的な情報処理スキルが限界を迎えている
僕は天才ではありません。なぜかというと、自分が、どうしてヒットを打てるかを説明できるからです
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』p58 イチロー
ロジカルシンキングなどに代表される論的思考法による戦略構築だけでは、現在の市場環境で競争が困難になっているという問題提起です。本書のなかで、その理由として2つ挙げられています。
①正解のコモディティ化
論理的思考法というのは、問題を分解して、合理的に求められる最適解を導きだす手法です。この思考法が広く知れ渡っていない自分には有効な手段だったことは間違いありません。しかし、多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけた結果、あらゆる市場で起きている事象が「正解のコモディティ化」です。
論理思考というのは正解を出す技術で、これによって競合と戦略が同じになれば差別化が喪失し、あとはスピードとコストで勝負するしかなくなります。日本企業がかつて世界を席巻したのは、スピードとコストで世界を凌駕したからでした。自動車産業も電化製品も、アメリカなど先行企業がいたものを真似ればよかったのです。
しかし、世界でトップになった日本企業は、真似をする相手がいなくなったがために、これまで論理で突き詰めていた思考から、アートに切り替えなければならなくなりました。それができずに過去の幻影を追ったがゆえに、現在の低迷があるとも言えます。
②方法論としての限界
昨今の市場環境はよく、VUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)の時代と表現されています。先読みができず、明確な答えが導き出しにくくなっているということです。
これはテクノロジーの急速な進化であったり、人々の価値観の変化スピードが速くなったり、いろいろな理由があるでしょう。このような世界では論理的・理性的であろうとしたら、いたずらに時間を浪費するだけで問題解決や創造力を発揮することができなくなり、意思決定が膠着してしまう恐れがあります。
では、論理的・理性的な情報処理スキルの限界だとすれば、どうすればいいのでしょうか。そこに求められるのが「直感(アート)」です。
これはアート偏重という考え方ではなく、論理がありつつアートがあるというバランスの話です。
論理や理性を最大限に用いても、はっきりしない問題については、意思決定のモードを使い分ける必要がある
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』p39
ミンツバーグによれば、経営というものは、「アート」「サイエンス」「クラフト」が混ざり合ったものだそうです。
「アート」は、組織の創造性を後押しして、社会を展望してわくわくさせるものです。
「サイエンス」は、体系的な分析が評価を通じて、アートのビジョンに現実的な裏付けを与えるするものです。
「クラフト」は、地に足のついた経験や知識をもとに、アートが生み出したビジョンを現実化するための実行力です。
難しい点は、「サイエンス」と「クラフト」は分かりやすいアカウンタビリティ(説明責任)があるものの、「アート」はアカウンタビリティを持っていません。説明できないのです。
でも例えば、スティーブ・ジョブスや孫正義さんプレゼンテーションを聞くと、人々は熱狂や共感でワクワクさせられます。このわくわくするビジョン(アート)を補助していくのが、アップルのジョン・スカリーであり、ソフトバンクの北尾吉孝さんのサイエンスとクラフトでした。このバランスが重要なのであり、片方だけでは戦うのに不足なのです。
世界は「自己実現欲求の市場」になっている
世界中に広まった豊かさは、全人口のほんの一握りの人たちのものであった『自己実現の追求』をほとんどすべての人に広げることを可能にした
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』p103 ロバート・ウィリアム・フォーゲル
マズローの5段階説をご存知でしょうか。生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→承認欲求→自己実現欲求という人間の欲求を5段階に分解したものです。
現在、グローバルな経済成長に伴って、生活水準が上昇したことにより、徐々に自己実現欲求へと消費者のベネフィットが変化しつつあります。機能がコモディティ化した結果、機能的ベネフィットだけで選択しなくなりつつあるのです。
例として、パソコンは最初は記憶容量とか計算能力で比較されたものの、差がなくなってくるとデザインやブランドといった情緒的な要素による判断基準が、人々の購買に影響するようになりました。これこそが自己実現欲求です。ちょっと古いイメージになりますが、スターバックスでMac Book Air をパチパチ打ってる人、というあの感じです。
自己実現欲求の世界では、いくら安くても自分の世界観を実現できない場合には消費者に選択されなくなります。一方で消費者の自己実現を支援してくれるモノに対しては、多少高くついても消費者は惜しみなく対価を払ってくれます。
山口周さんは、「世界が巨大な自己実現欲求の指標となるとき世界に形成された日本=無意識の国というperceptionは極めて大きな武器になるはず」という風に語っています。今後、基礎体力として美意識が重要な競争資源となるならば、世界最高水準の競争力を持っているのが日本であり、日本人は、そういうのが得意だというのです。
この点に関しては、『シン・ニホン』でも安宅さんが日本の妄想力は世界一であり、これから可能性を大いに秘めていると言っていましたね。
システムの変化が早すぎる
昨今テクノロジーの進化によって、新たに組み立てられたビジネスモデルが、試しやすく、一度成功するとすぐにコピーされて世界中に拡散する状況になっています。
儲かる商売というのは昔からルールのギリギリのところを攻めてくるものも多かった気はしますが、その浸透スピードは今と比べ物にならず、大きな問題になる前にルールが整備されていくという構図でした。今でもベンチャーはグレーなら踏み込むという選択をし、なかばコンプライアンスを無視できるのがベンチャーの強みとも言わんとばかりに押し込んできます。
グレーならばまだ、互いに調整・整備というプロセスを踏むことができるかもしれませんが、利益だけを追求していくと大きく道を踏み外してしまう可能性があり、これを押さえるのがまさに美意識(内的な規範)だとしています。本書のなかで、美意識がなく道を踏み外してしまった例として挙げられていたのがDeNAの2つの問題でした(DeNAだけがやっていたわけではないのですが…)。
①コンプガチャ
コンプガチャ問題について知っている方ってどのくらいいるんでしょうか。私はこの問題が起きた当時、ソーシャルゲーム事業に携わっていたので、とても印象に残っています。GREEのドリランドやMobageの怪盗ロワイヤルなどがブームになり、やがてカードゲーム系が乱立するのですが、これが射幸心を煽る売り方になりがちでした。
これはまさに利益追求とKPIに意識が偏重したがゆえに起こってしまった、問題だと思います。ゲームのユーザーは、ゲームで利用するカードを手に入れるために「ガチャ」というカードを引くシステムを利用する権利を購入します。そのガチャでしか手に入らないカードのなかで、特定のカードをコンプリートすることによって初めて手に入る希少なカードを景品として用意した、というのがコンプガチャです。
当然のように、特定のカードが出される確率は低い(厳密に言えば客単価計算されて設定されていたと思います)です。倫理観とかではなく、いかにユーザーを煽ってガチャを回させるかというものでした。※コンプガチャについての詳細はwikipediaにどうぞ
これが「景表法に違反する可能性がある」と消費者庁が注意喚起し、後追いでNGとされたものです。
②キュレーションメディア『WELQ』問題
キュレーションメディアは、これも一時期大ブームになりました。キュレーションメディア=テーマに即して情報を選んで集めたサイトです。キュレーションサイト自体が、独自取材したメディアをパクッて儲けてるじゃないかというものもあったのですが、記事執筆を依頼された素人が、DeNAなどの依頼側が用意した記事の作り方に即してテキストを書くという、正直なところ質の悪い記事が量産され、その記事が検索上位に来てしまうという事態が起きました。
というか、質が悪いどころか嘘情報や噂話、都市伝説のような内容が記載され、それがWELQに関しては「医療」「健康」に関する情報を提供する立場であるにもかかわらず、医学的に根拠のない情報を発信し続け、本当の情報を発信している情報源は、Googleなどの検索結果で上位表示されないという、大問題を発生させたのです。
一部では、「DeNAのSEOすごい」と言われましたが、これは全く倫理観にもとる言語道断の行為でした(SEO対策とは、特定のワードでユーザーが検索したときに、検索結果で上位になるようにサイト構造やコンテンツに対策を施すこと)。根底には、内部でこれを指摘する声があったのかどうかですが、SEOという分かりやすい計測指標と収益があるために、メディア側もライターも罪悪感をもたずにやっていた可能性はあります。
これを防ぐには、内部規範が重要になるということです。ルールがなかったとしても、それが倫理・道徳上どういう意味を持つのかを考えて行動するということです。
キュレーション事業に関する第三者員会の報告をずっと掲載しているDeNAは、創業者の南波さんが経団連副会長にもなりましたし、社会的にも影響力のある企業として、それこそ説明責任を果たしていくことに期待しています。
上記のように、いま社会のなかでは「法律の整備」が追いつかないという問題が発生しています。明文化された法律だけを拠り所にして判断を行うという考え方は結果として大きく倫理を踏み外すことになる恐れがあるのです。なので、明文化される以前に、わたしたち一人ひとりに内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められることになります。(真善美は後述)
とはいえ、この倫理観にとらわれていたりすると、美味しいところを持っていかれる可能性があるので、グレーのところをしっかり認識してロビー活動も行っていくということが大切なのかなと思います。民泊とか外資系に持ってかれる可能性もありますからね。
経営の美意識をとは何か
これまでまとめてきたように、論理的思考が限界を迎え、自己承認欲求の市場になった世界のなかで、さらに変化のスピードが速いことに柔軟に対応していくために、市場の最前線にいるグローバル企業はいま、美意識を養成し始めています。
では改めて美意識とはなんでしょうか。本書のなかで語られる「経営のなかの美意識」とは、企業活動における「良い」「悪い」を判断するための認識基準として用いられています。
なぜそのような判断基準が必要なのでしょう。従来型のKPIによる判断では当然ながら計測可能なものにしか適用できません。企業というのは個人という不確かなものの集積で組織され、企業と企業との関係性も複雑を極めています。必ずしも論理でシロクロつけられないものが多発する環境下では、全員にとっての正解が見いだせず、時間がかかるために、舵取りするリーダーシップに美意識が不可欠なのです。
その美意識は、「真・善・美」という基準で語られています。
真とは、「何が真か」の判断基準です。
何が真なのかが検討される際、普遍的に用いられている手法は論理思考です。VUCAの時代は論理思考で問題を解こうとしても、問題を構成する因子が多すぎて、努力しても意思決定ができなくなります。そのため、適宜、個人の直感に基づいた意思決定を行っていくことが求められます。
善とは、「何がよくて何が悪いか」の善悪の判断基準です。
何が善なのかが検討される際、普遍的に用いられている基準は法律です。社会の急速な変化に対し、法整備が追いつかないという状況では、内部的な規範に則って意思決定をするしかありません。
美とは、「何が美か」の判断基準です。
何が美なのかが検討される際、その意思決定について大きな発言権を持っていたのは顧客でした。これまでの定量的なマーケティング調査では、消費者が自己実現に結びつけるためのインサイトを導き出すことは難しくなっています。本当のニーズは数字や言葉では出てきません。全地球的な自己実現欲求の市場においては、市場調査という外部に美の判断を委ねることは競争力に繋がらなくなってきているので、自分の美意識が必要となってきています。
まとめ
最適化していることで、様々な便益を与えてくれるシステムを、その便益にかどわかされずに、批判的に相対化する。これがまさに21世紀を生きるエリートに求められている知的態度なのだ
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』p185
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で伝えたいメッセージは、大きくは2つあるのかなと思いました。ひとつは論理だけでビジネスができる時代ではないということ、もうひとつはルールがない場合は、自己規範を持ってビジネスと向き合うこと。
それから、印象に残った点は、「アート」と「サイエンス」だけではなく「クラフト」という三つ巴の関係性。「クラフト」という実行力というのを今まで意識することなく、なんとなく「サイエンス」のなかに含んで考えていたけど、確かに分けて考えたほうが経営のバランスがいい。大変勉強になった。
本の目次
- はじめに 名門美術学校の意外な上顧客
- 忙しい読者のために
- 論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
- 世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
- システムの変化にルールの制定が追い付かない状況が派生している
- 本書における経営の美意識の適用範囲
- 会社を「作品」と考えてみる
- 第1章 論理的・理性的な情報処理スキルの限界
- 「論理」と「理性」では勝てない時代に
- 「直感」はいいが「非論理的」はダメ
- 「論理」と「理性」に頼る問題点① 時間
- 哲学を鍛えられていた欧州エリート
- 「論理」と「理性」に頼る問題点② 差別化の喪失
- ミンツバーグによるMBA教育批判
- アカウンタビリティの格差
- アカウンタビリティと「天才の否定」
- クックパッド紛争は「アート」と「サイエンス」の戦いだった
- アカウンタビリティは「無責任の無限連鎖」
- アートが主導し、サイエンスとクラフトが脇を固める
- 経営トップがアートの担い手
- 千利休は最初のチーフクリエイティブオフィサー
- アートのガバナンス
- 経営者はなぜデザイナーに相談するのか?
- サイエンス型が強くなるとコンプライアンス違反のリスクが高まる
- エキスパートは「美意識」に頼る
- ビジョンと美意識
- サイエンス偏重は一種の過剰反応
- 第2章 巨大な「自己実現欲求の市場」の登場
- 全てのビジネスはファッションビジネス化する
- 自己実現的便益のレッドオーシャン
- なぜマッキンゼーはデザイン会社を買収したのか?
- デザイン思考
- 「巨大な自己実現市場の登場」は日本にとっての好機
- イノベーションにはストーリーが必要
- デザインとテクノロジーはコピーできる
- 第3章 システムの変化が早すぎる世界
- システムの変化にルールが追いつかない世界
- なぜ繰り返し問題を起こすのか?
- 実定法主義と自然法主義
- 後出しジャンケン
- 「邪悪にならない」
- 「我が信条」
- エリートを犯罪から守るための「美意識」
- エンロンのジェフリー・スキリング
- 日本文化における「罪と恥」
- ある会社の常識は、他の会社の非常識
- 第4章 脳科学と美意識
- ソマティック・マーカー仮説
- 意思決定における感情の重要性
- マインドフルネスと美意識
- セルフアウェアネスの向上に重要な部位
- 第5章 受験エリートと美意識
- 「偏差値は高いが美意識は低い」という人たち
- なぜエリートは「オウム的システム」を好むのか?
- システムへの適応力
- コンピテンシーとしての「美意識」を鍛える
- 「悪とは、システムを無批判に受け入れること」
- 第6章 美のモノサシ
- 鍵は「基準の内部化」
- 主観的な内部のモノサシ
- 「美意識」を前面に出して成功したマツダの戦略
- マツダが依拠した「日本的美意識」
- マツダにおける「顧客の声」の位置付け
- 「美」のリーダーシップ
- 第7章 どう「美意識」を鍛えるか?
- 世界のエリートは「どうやって」美意識を鍛えているのか?
- 「アート」が「サイエンス」を育む
- 絵画を見る
- VTSで「見る力」を鍛える
- 「見る力」を鍛えるとパターン認識から自由になれる
- パターン認識とイノベーション
- プロセスとモードからの学び
- 知的反逆
- 文学を読む
- レトリック能力と知的活動
- おわりに