『他者と動く』っていうのは本当に難しい。
仕事においては、自分としては「絶対にこうしたほうがいい」と思っていても、合意を得るのはそうそう容易ではない。合意をとっていたはずだけど土壇場ではしごを外されるなんてことは多々ある。はしごを外されなくても、失敗したら「最初から俺は失敗すると思っていたんだ」と言われる始末。
相手の立場とか、抱えているものを想像できていないと言えばそこまでなんだけど、結構ショックなこともあるわけです。
とはいえ、逆に「わかりあえる」からといって、その先に正解があるとも言えない。自己満足でしかない場合だってよくある。
私生活においては、より一層困難。だから一人のほうが楽だったりする。いまこれを書いている時間が楽なのです。でも人と話すのは好きだったりするので矛盾もあるか…?
結局のところ、他者と本当に「わかりあう」というのは基本的には難しく、他者との大概の関係性においては「わかりあえない」ことを前提にして、ちょっとだけ客観的になってコミュニケーションを図っていくのが最善の策だということに気づき始めています。自分の思考に過信しない、盲目になりすぎないというか。
本書は、そんな自分の考えを整理できた一冊。
「他者を道具ではなく、替えの利かない存在として捉えなおしていくこと」というのが、『他者と動く』を一言でまとめた言葉かな。
本の内容は、アダム・カヘンの『敵とのコラボレーション』と似ている部分もあります。
アプローチの違いは、『敵とのコラボレーション』のほうが達観して割り切り型なのに対して、『他者と動く』は割と寄り添い型と言えそう。
『敵とのコラボレーション』はあくまで目標の達成の手段のなかに「協働(=他者と動く)」があり、その他の選択肢も提案しています。強制とか逃避とかコラボレーションだけが全ての解決策ではないというもの。『他者と動く』は、「もし相手が自分だったら」というアプローチで、わかりあえなさの溝に橋を架けて一緒に動こうという者です。
「溝」というのが、自分と他者をわける比喩表現。それぞれに異なる「ナラティヴ(物語)」があり、その間に「わかりあえない溝」があるというのです。
「ナラティヴ」という横文字、最近たまに聞きますね。不勉強なので正しく解釈できているかわからないのですが、簡単に言えば「お互いに価値観も目標も違うから、同じ問題に対しても捉え方は違うよね」ということでしょうか。
対話できる組織については、『心理的安全性のつくりかた』でも学びましたが、本書のナラティヴ・アプローチも大変いい気づきになりました!本も読みやすいです!
本の概要と要約
著者の課題
知識として「正しいこと」と「実践」との間には大きな隔たりがある。他者に対していくらロジカルに説明しても反対されることがある。
解決方法
問題は適応課題にある。お互いに分かり合えていないことを認め、対話を通してナラティヴの溝を埋め、新しい関係性を構築する。
内容
・技術的課題と適応課題
-技術的問題は、既存手法で解決できるもの
-適応課題は、既存手法だけで一方的には解決ができないもの
・4つの適応課題
-ギャップ型は、大切だと思っていても行動が伴うことができないこと
-対立型は、お互いのコミットメント(目標)が違うこと
-抑圧型は、言いたいけど言えないこと
-回避型は、問題解決の本質に向き合わないこと
・対話とナラティヴで解決する
-ナラティブとは、物事の解釈の枠組み
-それぞれの人の中で、知識、立場、文化などの要素で形成される
-自分と相手、それぞれ異なるナラティヴを持っている
・ナラティヴの溝に橋を架けるプロセス
-準備:溝があることに気づく
-観察:相手の状況を見る
-解釈:相手からどう見えるか探る
-介入:溝に橋を架ける
・溝の事例と橋を架ける糸口
-総論賛成、各論反対
-共通の成果目標をもつ
-互いのナラティヴに招く
-正論が届かない
-両者にとっての正論をつくる
-権力で見たいものが見れない
-権力は必ず作用するものと自覚する
・他者を道具ではなく、替えの利かない存在として捉えなおしていくこと
著者:宇田川元一(うだがわ・もとかず)
埼玉大学経済経営系大学院准教。専門は経営戦略論・組織論。組織における対話やナラティヴ・アプローチを基盤として、イノベーティブで協働的な組織のあり方とその実践について研究を行っている。
●インタビュー記事
組織のわかりあえない対立を読み解くナラティヴ・アプローチで人事が果たしうる支援とは(日本の人事部 2019/10/18)
なぜ「職場の問題」は解決できないのか(NewsPicks 2019/10/5)
本の解説と感想
技術的問題と適用課題
本書はまず、他者と一緒になって物事を進めようとするとき、「既存の方法で解決できること(技術的問題)」「既存の方法では解決できないこと(適応課題)」に切り分けています。
技術的問題とは、テクノロジーなど既存の方法で解決できる問題です。例えば、プロジェクト推進においてタスク管理が煩雑になり、スケジュールの遅延やメールの見逃しなどが発生していた場合、タスク管理ツールやチャットツールなどの導入によって解決するなど。
適応課題とは、技術的には可能でも何らかの反対にあってこれとった解決方法が見つからないものです。つまり、合理性ではなくコミュニケーションをとっている相手やその背景の何らかの影響によって、協力要請に応じてくれないことです。自分のロジックでいくら合理的に説明したとしても、他者が見ている景色が違った場合、発生しがちです。
こうした適応課題と言うのは、常にわたしたちの周りに存在しています。それが本書が他者との関わりで前提としている「わかりあえなさ」です。
「私とそれ」と「私とあなた」
哲学者のマルティン・ブーバーは、人間同士の関係性を二つに分類したそうです。
1つ目は「私とそれ」。
向き合う相手を道具として観ている関係です。例えばレストランの店員には、その機能を期待して対価としてお金を払っています。私を中心として「店員なのだから、こうして当たり前」という道具的な応答を求めているということです。
2つ目は「私とあなた」。
これは、私を中心とした道具的な応答ではなく、相手の存在が代わりがきかないものであり、私が相手であったかもしれないと思えるような関係を指します。
「私とあなた」の関係は、対話の関係性とも言えそうです。
対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れあって行くことを意味します
『他者と動く』p22
しかしすでに私たちは、お互いを受け入れあうということがいかに難題であるかを知っています。それこそが「なんで説明しても分からないんだろう」という事態に陥る適応課題なのです。
一方的に解決できない適応課題
適応課題には4つのタイプが存在するとしています。どれもありがちです。
1.ギャップ型
これは、言っていることとやっていることの整合性が合わないことです。例として挙げられているのが、女性の社会進出に対して即座にそうならないというもの。「女性のマネージャーの数を半数に」という目標を掲げる企業があると、まだまだ多くの人が「実力で判断すべき」と言います。それは短期的な視野で見た時に合理的ともいえるんですが、おそらくいつまでたっても女性マネージャーは増えません。「女性マネージャーの数を半分に」と掲げなければ実力のある女性がまずその企業に入りたいと思わないかもしれません。本書の言葉を借りれば以下です。
言うなれば問題は(狭い意味で)合理的に発生します
『他者と動く』p24
合理性の根拠を変えるよう働きかけることに挑む必要があります。
2.対立型
例えばコーポレート機能が「ガバナンスを強化する」という企業として当たり前と思える目標に対して、現場で判断していたことが承認プロセスを経なければならないとなったとき、短期的な事業活動に大きな影響が出るかもしれません。現場からは手間だとか反対があることが予想されます。あとで解説しますが、総論賛成・各論反対のケースにも当てはまるでしょう。互いのコミットメントが対立してしまう場合は、どちらも「お互いの合理性の根拠に即して」正しいと思っているので、溝が生じます。枠組みの違いによる対立をどう解消していくかに挑む必要があります。
3.抑圧型
言ってしまうと厄介で、損をしてしまうと考えるために発生するものです。例として挙げられていたのが、先行き危うい既存事業の撤退が言い出せないこと。見通しが立たないのにテコ入れをしていくと現場は披露していく…
4.回避型
これも難しい問題。問題の本質を解決することを避け、別の行動にすり替えるという者。敵とのコラボレーションでいう「逃避」に近いかも。本書の中で例として挙げられているのが、職場でメンタル疾患を抱える人のケース。本当は職場の仕事の仕方や人間関係の問題に着手しなければいけないのに、エクスキューズとしての産業医やストレス耐性のトレーニングを受けさせるなどして、責任を転嫁するという状態。本当に取り組むべき課題に向き合うことこそが重要なはずです。
ナラティヴの溝に橋を架ける
こちらのナラティヴとあちらのナラティヴに溝があることを見つけて、言わば「溝に橋をかけていくこと」が対話なのです
『他者と動く』p34
ナラティヴという言葉が出てきます。本書では、ナラティヴ(narrative)とは、物語つまりそのあたりを生み出す「解釈の枠組み」と定義しています。お互いの視点の違いから見ているものではなく、その背景となる置かれている環境であったり、それまでの人生経験だったりを含めた、その人の中の「一般常識」のようなものだとも述べています。
本書で提案されている新しい関係性を築く方法が、自分のナラティヴと他者のナラティヴの間にある溝に橋を架けることです。著者は、そのプロセスを4つに分解しています。
もとは、ロナルド・A・ハイフェッツという人が提唱した「アダプティブ・リーダーシップ」という考え方における。観察ー解釈ー介入というプロセスの前段階として「準備」を置いたようです。
1.準備「溝に気づく」
問題が起きた時に、自分から見える景色を疑い、技術的なアプローチがうまくいかないことに気づくことです。このフェーズでは、客観性が求められます。いったん自分のナラティヴを脇に置いてみて、他者との間に溝があることに築き、相手と自分との関係性において「適応課題」が発生していることに気が付くことです。
2.観察「溝の向こうを眺める」
溝に気づいたら、次に相手との溝に向き合います。適用課題があると認識したうえで、その解消に取り組むことを決めるということです。引き続き客観性が重要で、溝の向こうにいる他者の行動や言動、取り巻く環境をよく観察します。そうすることで相手のナラティヴを把握しようと試みます。
3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
相手のナラティヴが把握できたら、溝を越え、対岸に渡っていきます。相手のナラティヴを憑依させ、相手の状況・環境において、自分が行動や言動がどう見えるのかを眺めていきます。相手のナラティヴから自分を観てみた時に、橋を架けるポイントを探して、相手と自分との間に「新しい関係性」を作る方法を構想します。
4.介入「溝に橋を架ける」
実際に橋を架けるフェーズです。実際に行動を起こして、新しい関係性を築く努力をします。うまく橋がかからないこともあるので、橋を往復して検証し、うまく行っていないようであれば、別の橋を架けてみるなど繰り返します。
蒸気をまとめると、想定外のことが起きたときにまずは立ち止まって「準備」をして「観察」。次に相手のナラティヴから「解釈」して、解決のための具体的な行動つまり「介入」をしていくという流れです。一度介入しただけで全てが解決できるとは限らないので、「介入」したあとにさらに「観察」していき、「解釈」「介入」のサイクルをまわしていくことこそが、「対話」になります。
総論賛成・各論反対
これまで適応課題についていろいろと学んできましたが、だれもがいいと思っているけど話が進まない問題、いわゆる「総論賛成・各論反対」について、ヒントが掲載されています。本書のなかでは、「新規事業開発」と「既存事業」の対立が描かれています。
既存事業だけで会社が存続していくことが困難だということは、今の時代、多くの人がわかっている重要な事実です。ですが、新規事業に対しての風当たりはとても強いものがあります。
わからないでもないですよね。だって新規事業は既存事業が生み出す利益を、悪い言い方をすれば食いつぶすので、いい顔はしません。新規事業が成果が出にくいというのはその通りなのですが、いくら説明をしても納得はされないでしょう。よく言われるのは、社長が新規事業にコミットしてリーダーシップを発揮するということですが、実際に現場を回すのは新規事業担当者なので、適応課題だらけです。
これを解決するために、新規事業と既存事業との間に新しい関係性を構築しなければなりません。新規事業が既存事業にもいい影響を与えるような、共通の目標を持つことがひとつ解決なのではないかという提案がなされています。
具体的には、新規事業開発をするうえで、既存事業にも市場のニーズなどの内容をシェアするとか、人材育成の役割を担うとか、既存事業にとってもポジティブな成果が目に見えるといいと。(これが難しいんですけどね…)
それを探るための、ナラティヴの溝に橋を架けるプロセスは、
準備:相手を別のナラティブの中で意味ある存在として認める
観察:関わる相手の背後にある課題が何かをよく知る
解釈:相手にとって意味のある取り組みは何かを考える
介入:相手の見えてない問題に取り組みかゆいところに手が届く存在になる
で、これがすんなりできると、どんなにいいことか…精進ですね。
他に、強制的に互いのナラティヴに招き入れるという手段も書かれていました。
例えば、「数字を追う営業」と「契約の不備を指摘する法務」の対立があったとしたら、営業を新規採用したら、営業よりも前に法務部で契約書チェックをさせると、相手のナラティヴから自分のナラティブを眺めることが、実際の体験として得らますね。
何が相手の役に立つのか、何に潜在的には困っているのか、この2点をよく理解し、そのために具体的な施策まで展開していくことが橋を架ける上では不可欠です
『他者と動く』p91
これはいい言葉。覚えておこう。
弱い立場と正義のナラティヴ
営利目的の組織に属している人が重責を担うとき、他のメンバーと同じナラティヴを生きることは難しいでしょう。
『他者と動く』p96
上司と部下の間で発生する適応課題は、組織あるあるです。部下は「こうすればいいのに」と思っていても、上司がそれを推し進めない。これまでの学びから、その背景には上司なりのナラティヴがあるということになります。
解決方法としての基本は観察。それでも分からない場合は、ナラティヴが開示できるような(あるいは分析できるような)機会を設けるということも大事です。
とはいえ、私の実体験なのですが、勉強会やワークショップを開催しても任意の参加の場合、なかなか上司は参加しません。なかなかというより、ほぼ参加しない。どういうアプローチであれば相手のナラティヴに入り込めるかを考えるというのもスキルの一つになりそうです。
ところで、上司と部下の関係における興味深い話がありました。「弱い立場の正義のナラティヴ」です。
立場が上の人間を悪者にしておきやすい「弱い立場ゆえの正義のナラティヴ」に陥っている
『他者で動く』p103
私は、部下の立場と上司の立場とで、この問題に直面したことがあります。部下の立場では、正論だと思ってもなかなか上司がそれを受け入れず、文句ばかり言っていました。上司の立場になってからは、まさに「上司になった自分のナラティヴ」と「部下だった頃の自分のナラティヴ」の間に溝があったと認識しています。
上司になった自分だって、部下の主張はもっともだと思う反面、反発を食らうであろうことも意思決定しなくてはならなくなります。本当、よくわかる…
部下による正義のナラティヴは、もはや仕方ないと諦めていましたが、そうならない関係性の築き方もありそうですよね。部下と上司と言うぶつぎりの関係性ではなく、もっと普段からコミュニケーションしていれば、違うのかもしれないなと思いました。
まとめ
他者と動くことと、その問題が解決できない理由も分かってはいました。わかってはいるけど、できない。できない理由は、自分のナラティヴに盲目になっていて、客観視できないから。
改めて、他者と一緒に物事を進めていくうえでは、視野狭窄に陥っていないかを自分自身が気づくことが重要だということを認識させられました。結局、自分から変わっていかないといけないということですよね。
本の目次
- はじめに 正しい知識はなぜ実践できないのか
- 第1章組織の厄介な問題は「合理的」に起きている
- 兄弟経営者の対話「兄は経営者にふさわしいのか?」
- 道具としての関係性からいかに脱却するか
- 一方的に解決できない4タイプの「適応課題」
- 経営危機に瀕したスターバックスの変革
- 誰しもが持つ「ナラティヴ」とは何か
- [コラム]語りと物語とナラティヴ・アプローチ
- 第2章ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス
- 「溝に橋を架ける」ための4つのプロセス
- 対話のプロセス1.準備「溝に気づく」
- 対話のプロセス2.観察「溝の向こうを眺める」
- 対話のプロセス3.解釈「溝を渡り橋を設計する」
- 対話のプロセス4.介入「溝に橋を架ける」
- 「上司が無能だからMBAに来た」というナラティヴ
- よい観察は発見の連続である
- よい解釈には「相棒を求めよ」
- 曖昧な問題をいかに明確な問題に捉え直すか
- 介入というアクションが次の観察の入り口でもある
- 対話のプロセスは繰り返す
- 私とは「私と私」の環境である
- 対話を通して「反脆弱的」な組織へ
- [コラム]新たな現実を作ることが最高の批判である
- 第3章実践Ⅰ.総論賛成・各論反対の溝に挑む
- 総論賛成、各論反対を生き延びる
- 共通の成果を設定する
- 検証がニ巡目の対話へつながる鍵となる
- ナラティヴに招き入れる
- [コラム]自身のナラティヴの偏りと向き合うこと
- 第4章実践Ⅱ.正論の届かない溝に挑む
- 上司から部下へと連鎖する適応課題
- フラットになれる場を設定する
- 弱い立場ゆえの「正義のナラティヴ」に陥らない
- つながりの再構築で孤立を解消する
- [コラム]インテルはなぜ戦略転換できたのか
- 第5章実践Ⅲ.権力が生み出す溝に挑む
- 現場を経営戦略を実行するための道具扱いしない
- 仕事ナラティヴの中で主人公になるには
- 権力の作用を自覚しないとよい観察はできない
- マネジメントスタイルを組織のナラティヴに合わせて変える
- 回避型における対話のポイント
- [コラム]対立から対話へ
- 第6章対話を阻む5つの罠
- 対話の罠①「気づくと迎合になっている」
- 対話の罠②相手の押しつけになっている
- 対話の罠③相手と馴れ合いになる
- 対話の罠④他の集団から孤立する
- 対話の罠⑤結果が出ずに徒労感に支配される
- [コラム]落語とナラティヴ
- 第7章ナラティヴの限界の先にあるもの
- ナラティヴ・アプローチの医療の研究から
- 自分を助けるということ
- おわりに 父について、あるいは私たちについて