『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の書評とサクッと要約|エリートは謙虚になるべき

『実力も運のうち 能力主義は正義か? 』 ビジネス
実力も運のうち 能力主義は正義か? (マイケル・サンデル著)

最近、資本主義に懐疑的な論調が増えた気がします。ポスト資本主義というのが広く議論されるようになったのは、とても重要な時期に差し掛かっているように感じます。とはいえ、いまの経済発展は間違いなく資本主義の賜物でしかなく、それを否定気味に語るのってどうなんだろう、と思っていたりします。格差は広がったかもしれないけど、貧困は少なくなっているんじゃないでしょうか?

その一つの答えを、ハーバード白熱教室で日本でも有名になったマイケル・サンデル教授が、『実力も運のうち 能力主義は正義か?(早川書房)』で示しています。「資本主義がよくない」という主張ではなく、今の世の中は能力主義の結果によってもたらたらされた「驕り」と「劣等感」とによって、「勝者」と「敗者」という分断を招いているというのです。

能力主義は、「誰だって努力と才能があればのし上がれる」という、出世あるいはアメリカンドリームのレトリックで、さも人々に平等であることを標榜しています。ですが、昔の中国の科挙制度のように、実際には所得が高い家庭の出身者ほど、高学歴の人が多いという事実があるわけです。

今日、さまざまな差別が撤廃され、また否定され、アメリカほど自由の国はないはずが、出自によって得られる「何か」が間違いなくあり、所得が低い人たちは、所得が高い女性や他国から来た人たちに追いやられる恐怖を持つことになってしまったのです。

これはなかなか、難しい問題。
日本の場合、お国柄なのか経済があるところで停滞してしまったからなのか、所得階層の違いをそこまで実感していないのではないかと思います。アメリカや欧州では不平等を感じることが多く、経済的に優位に立つエリートたちが「まさか!」と思うような、トランプ氏の当選やイギリスのEU離脱が起こったんですね。

能力主義における不平等への唯一の対処法は、謙虚になること。エリートが自分の才能と、それが発揮できて評価される環境にいることが幸運だと思うことで、あらゆる人が尊厳を保てる世界になるのではということだと、サンデル教授は述べていました。

ちなみに、この本で読書会をやったんですが、マイケル・サンデル教授は『これから正義の話をしよう』でも、答えのない問いを提示してきましたが、人によって受け止め方が異なるようなものは読書会がはかどります。どなたかが、この本を国会議員全員に読んでもらいたいですね、と言ってたのが印象的でした笑

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本の概要と要約

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の問題提起
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の問題提起

著者の課題
私たちが理想とした能力があるものが成功する世界が、勝者と敗者を分断させている。

解決方法
機会の平等を超えて、自分の力だけで身を立てたわけではなく、自分を認めてくれる環境にいる幸運のおかげだと認めること

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の要約
能力主義が社会的軋轢を生む
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の要約
エリートは謙虚になるべき

内容
・能力主義が社会的軋轢を招いている
 -能力主義は敗者と勝者を生む
 -勝者は成功を「自分の力だ」「やればできる」という
 -敗者は失敗を「自分のせいだ」と思う
・出世のレトリック
 -勤勉で才能があればだれでも出世できる
・能力の歴史的背景
 -かつては神の恩寵だった
 -いまは自分に値するものになっている
 -結果、責任・努力・意欲…レトリックで不平等を放置
・機会の平等
 -男女差別、人種差別の緩和
 -多様性は生まれたが、結局所得階層の移動はなかった
・はたして、「ある才能」を持っていることは、本当に我々自身の手柄だろうか?

・貴族主義と能力主義
 -貴族主義
  -所得と資産は生まれながらに決まる
  -生活が苦しくても自分の生徒は思わない
 -能力主義
  -不平等は世襲に関係ない
  -成果は才能と努力の帰結、つまり自分の責任
  -でも実際のところハーバード大の学生の3分の2は所得上位5分の1の家庭の出身
  -能力主義なのに、結局は貴族主義のようになっている
 -どちらが望ましいか
  -多くの人は「能力主義」と答えるだろう
  -しかし自分がお金持ちだったら「貴族主義」と答えるだろう
 -能力主義は理想郷ではなく、ディストピアである

・ではどうすればいいか
 -機会の平等だけではなく、条件の平等を
  -どんな労働にも尊厳があり共通善に貢献している
 -謙虚になる
  -自分の力と才能を認めてくれる社会に生まれたことが幸運
  -自分の手柄ではないと認める

著者:マイケル・サンデルとは

1953年生まれ。ハーバード大学教授。専門は政治哲学。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル=コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者として知られる。

日本では、NHKで放映された『ハーバード白熱教室』が話題となり、一躍ビジネスパーソンらの間に知られるようになる。『これから正義の話をしよう』では、「1人を殺せば5人が助かる。あなたはその1人を殺すべきか?」という、正解のない問いを探求し、ベストセラーとなった。

●インタビュー記事
マイケル・サンデル教授が説く、エリート層が”謙虚さ”をもつことで開ける未来「エリートは苦しんでいる人たちを見下している」(未来をここからプロジェクト 2021.05.10)

マイケル・サンデル教授×モーリー・ロバートソン【前編】「世界を分断する『成功者のおごり』を解体せよ!」(週プレNEWS2021.07.24)

●SNS
Youtube:マイケル・サンデル教授インタビュー完全版「エリートは謙虚になるべき」「分断は能力主義によって起きている」【報ステ×未来を人から 完全版】【未来をここから】【Michael Sandel】

本の解説と感想(レビュー)

原題を読み解く

英語の原題は“The Tyranny of Merit: What’s Become of the Common Good?”です。

直訳すると「能力主義の専制:公益はどうなるのか」という感じなのでしょうか。原書を読んでいないので分からないところがあるのですが、本文中「能力」「功利」などの言葉が出てくる言葉がMerit”に集約されているのかも。”Tyranny”という言葉は、私は英語に馴染みがないので初めて聞きました。6章あたりに「能力の専制」という言葉が出てきます。また全体を通して「能力主義が不平等をもたらす」的なことが書かれているので、能力主義がよくない影響を与えているというニュアンスなのだと思います。”the Common Good”というのは、辞書を引くと「公益」です。サンデル教授の本などで訳されると「共通善」という言葉が出てくるので、これを意味していそうです。

とすると、邦題の前半「実力も運のうち」は、サンデル教授の言う、「謙虚になれ」であり、後半の「能力主義は正義か?」は能力主義の弊害を問いの形にしたという感じでしょう。

勝者と敗者

ある才能を持っていることは、本当に我々自身の手柄だろうか

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』p40

「分断」という言葉を最近よく聞きます。これが格差によるものなのか、ネット上で右と左の極端な意見が目立つからなのか、実際のところは分かりませんが、サンデル教授は「不平等」の拡大がエリートに対する怒りをつのらせていると主張しています。

アメリカのトランプ大統領の当選と、イギリスのEU離脱はまさに大衆のエリートへの憤怒が形になって現れたものだったのかもしれません。アメリカではこの問題を、移民や人種差別、グローバル化と技術進化による失業の懸念が怒りの原因だと思いがちですが、本質的にはどうしようもない「不平等」だというのです。

「才能と努力があれば誰だって出世できる」という世界は、誰もがその通りだと思いたいものですが、実際はそうはなっていないのだそうです。貧しい親に生まれた人は貧しいまま。アイビーリーグの学生のうち、所得下位5分の1以下の家庭の出身者は4%に満たないのだそうです。

「やればできる」という言葉は、才能があり能力が発揮でき、それを評価してもらえる人であれば元気づけられるのですが、やってもできず(もしくはやれない)失敗した人には、傷口に塩を塗るようなことにもなりかねません。

勝者は、成功した理由を自分の能力と努力のおかげだと過信して成功していない人を知らずに見下し、敗者は自分の失敗をすべて自分の責任だと感じてしまう。能力主義によって勝者と敗者が生まれ、軋轢を招くようになってしまっています。

出世のレトリック

勤勉で才能があれば誰もが出世できるというアメリカ人の信念は、もはや現場の事実にそぐわない

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』p39

かつて、能力があり成功し幸運がその手にあるのは、神による恩寵だという考えだったそうです。ところが能力主義社会においては、成功は努力による正当な報酬だという考えになってきています。いわゆるアメリカンドリームとして夢見られる成功物語は、「才能があれば出世できる」という発想に基づく機会の平等によって、自分の才能と努力によって誰でも手にできる権利として多用されてきました。

レトリックとは、言葉巧みに表現すること。つまり「出世のレトリック」は、誰もが納得しやすい出世のルールを提示し、一見して平等だと思わせてしまうところに問題があるというのです。ところが実際には、エリートの再生産、貴族社会のように所得が高い家庭の子がしっかりと高い学歴を得ている状況があります。もちろん貧困層を脱して富裕層へ登るという人が全くいないということではありません。しかし、サンデル教授によれば中流階級にも届かないことがほとんだと言います。

そうなると「だれもが才能と努力の許すかぎり出世できる」というのは欺瞞だと言えそうだ…ということになります。

ちなみに本書のなかではもうひとつ、「責任のレトリック」も紹介されています。これは日本で分かりやすいところで言えば「ホームレス」「生活保護」に対し、その人の落ち度があってその状況になったのだとしたときに、「それはあなたの責任だ、だから我々の税金をあなたに使われるのは癪だ」というようなことです。「誰もが出世できる機会の平等のもとで、失敗をしたらあなたの責任」というのはまさにダブルパンチ。

こうなると、勝者と敗者とで分断が起きてしまうのも必然のように思えます。

学歴偏重主義

驚かされるのは、政治家たちが学歴を粉飾していることではなく、そうする必要があると思っていることだ

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』p125

学歴偏重というのは、いつの間にか私たちに根付いている最大の偏見、バイアスではないでしょうか。

2021年にアメリカ大統領となったジョー・バイデン氏は、1987年にも大統領選に名乗りを挙げていて、そのとき学歴を誇張…というより粉飾していたそうです。全額奨学金を受けたのはクラスで一人(本当は、貧困から一部奨学金を得ていた)、クラスの上位半分の成績(最下位近くで卒業)、三つの学位を取得(1つの学士のみ)。という感じ。こうした粉飾は、「つく必要性」に迫られていてのものだったのでしょう。つまり自分をよく見せる必要があった。大衆が学歴を重視するということにほかなりません。

日本でも東京都知事の小池百合子氏がエジプトの国立大学カイロ大学を卒業したというのが嘘ではないかという経歴詐称を指摘されています。もっと身近なところでは、面接をするときに「大学卒業」は必須と思っている企業は間違いなく多いはず。明らかに平等ではありません。しかし、能力を測るために学歴という条件をもってスクリーニングしようとするのです。

私は、ビジネスでベンチャー企業への投資活動も行うようになっているのですが、経営者の背景というのはやはり重要な要素になります。東京大学、ハーバード大学、マッキンゼー出身…やはり何かしらを判断する材料に間違いなく経歴という軸があるわけです。

貴族社会と能力主義社会

あなたが金持ちなら、自分の資産や特権を子供に引き継げる社会を選ぶかもしれない。これは貴族社会を支持する論拠だろう。あなたが貧しければ、自分や子供に出世のチャンスがある社会を選ぶだろう。これは能力主義社会に賛成する議論だ。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』p169

貴族社会
所得と資産は生まれながらにして偶然決まる社会。中世の封建社会を想像してみるとわかりやすいです。王族はずっと王で、領主の家系はずっと領主。農民はずっと農民。

能力主義社会
所得と資産の不平等は世襲特権ではなく、人々が才能と努力によって獲得したものに帰結する社会。

貴族社会なら、自分の特権は幸運のおかげだということが分かりやすいかと思います。なぜかというと、農奴の身分に生まれると生活は厳しいかもしれないものの、その地位にいるのは生まれながらにしてそうなので、自分の責任だと考えずに苦しむことにはなりません。能力主義社会なら、その特権は自らが自らの努力と才能で勝ち取ったものとだと誇りを持つことでしょう。その逆に貧しさは自らが招いたものと自信喪失につながることにもなります。

現在は貴族主義のようなシステムはほとんどなく、多くは能力主義社会に生きています。ところが現実は、成功した者の資産は次の世代に引き継ぐことができます。そのおかげで、もしかしたら多くの人たちよりも優位な教育が受けられるかもしれません。また資産とはお金だけではなく親の知識や所蔵されている本、ネットワークもあるかもしれません。能力主義社会はいつの間にか貴族社会に近づきつつあるようです。

そういえば『自由からの逃走』では、封建社会ではそれぞれに生まれながらの固定した役割があったので、自由はなかったが孤独ではなかったということが書かれていました。能力主義は機会の平等によって何をするにも責任がまとわりつきます。サンデル教授が言う問題は、エーリッヒ・フロムの自由からの逃走の問題と問いの本質は同じなのかもしれません。

選別装置

持てる者と持たざる者は、一つの世代から次の世代へ移っても、立場を変えることはなかった。これまで見てきたように、貧困層に生まれて富裕層に上昇する子供はめったにいないし、富裕層に生まれて上位中流階級より下に転落する子供もめったにいない。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』p240

本書の序論では、大学入試の不正・不平等について述べられていました。賄賂などにより得点を操作したり、普通では得られないような証明書(例えばスポーツをやってもいないのにスポーツの優秀さの証明書など)を獲得したり、また不正行為ではないものの親が多額の寄付をするなどが行われたりする。結果、実力か何かが働くのか合格していたりするわけです。

これが何を表しているかというと、これほどまでに有名大学の卒業証書を得るか得られないかとうことが重要だということ。そのような事実があっても、あなたの成功があなたの力だけで実現されたと言えるのでしょうか

選別装置の一つである大学入試は、常に勝ち負けをはっきりさせます。そして勝者には驕りを、敗者には屈辱を植え付けることになります。もし自分の環境を認知していなければ、その勝利に驕ることはないかもしれませんが、何らかの影響があったものと気が付かないのであれば、自分の力で成し遂げたと誇りに思うことでしょう。その驕りが敗者をさらに敗者に落とし込むのです。

能力主義をどう乗り越えるか

共通善への貢献が少ないから社会の承認と評価の度合いも低いというのが、選別装置の言い分である。市場が勝ち組に与える潤沢な報酬と、大学の学位を持たない労働者に差し出す貧しい賃金を正当化しているのだ。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』p282

現代では、大卒者と高卒者の賃金差が40%近くまで開いているそうです。選別装置による振るいに落とされた人と、登りつめた人たちには経済的に格差が生まれているわけです。医者は病気を治す能力をもっていて尊敬されますが、毎日のように街の衛生に貢献している清掃作業員は同じく、私たちを疫病から救ってくれる存在ですが、その労働の尊厳にも格差が生まれてしまっています

ではどうすれば、貴族社会に寄ってきている能力主義を乗り越えることができるのでしょうか。

サンデル教授は、「我々はどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て生きているのではないことを、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない」と締めくくっています。

エリートが、自分の成功が偶然の産物だということを認める謙虚さがあれば、不平等に喘ぐことの少ない社会になっていくのではないでしょうか。

まとめ

タイトルの「能力主義は正義か?」というものに、私が答えるとしたら、「正義だ」ですかね。でもサンデル教授の主張の通り、現在の社会構造上、双方が必ずしもすべての人が平等ではありません。なので、それが解消されるシステムが必要なんだなとは思いました。

でももし、全員が本当に意味で平等になったとしても、やはりその人の能力によって社会上の役割は変わってきます。そうしたら「できるけどやる気がない人」とは同じ社会的評価でよいはずがないとおもうのです。だとしたら、「できてやる気がある人」はそれなりにメリットをもらえないと…と思うは私がまだまだ中途半端な人間だからなのかな。

とはいえ「実力も運のうち」という言葉の表す意味は、とても共感できるなと思います。今自分がこのポジションで今の仕事をやれていることは全くの幸運だと思う。自分の意思で転職したのは確かだけど、そのきっかけなんかも環境の偶然の一致ですしね。役職もついたのですが、前任の方が偶然にも辞めていくタイミングが複数重なっただけ。そう考えると、確かに謙虚にはなれそうです。

脱線しますが、資本主義に関していえば、儲かっている人はそれなりに地球に還元していると思うので、問題ないと思うんですよね。そして遥か先、行きついてしまった先には、ビル・ゲイツのような人たちが何もしなくても地球への還元や世界中の人々への分配がなされる、つまり生活の最低水準を満たしながら地球の気候変動にも対応できる世界になるのではないか、そんな気がしています。

本の目次

実力も運のうち 能力主義は正義か?
『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の表紙

『これから正義の話をしよう』も早川書房でしたが、サンデル教授の本のカバーデザイン好きです。

  • プロローグ
  • 序論ー入学すること
    • 大学入試の倫理学
    • 能力への入札
  • 第1章勝者と敗者
    • ポピュリストの不満を診断する
    • 技術家主義と市場に優しいグローバリゼーション
    • 出世のレトリック
    • 能力主義の倫理
    • 屈辱の政治
    • テクノクラート的能力と道徳的判断
    • ポピュリストの反乱
  • 第2章「偉大なのは善良だから」ー能力の道徳の簡単な歴史
    • 能力が重要なのはなぜか
    • 果てしなき能力主義
    • 救助と自助
    • 神の摂理という思想ー当時と現在
    • 健康と富
    • リベラルな摂理主義
    • 歴史の正しい側
    • 道徳の宇宙の弧
  • 第3章出世のレトリック
    • 努力と正当な報い
    • 市場と能力
    • 責任のレトリック
    • 才能の許すかぎり
    • 自分が値するものを手に入れる
    • ポピュリストの反発
    • やればできる?
    • 見ることと信じること
  • 第4章学歴偏重主義ー容認されている最後の偏見
    • 学歴を武器にする
    • 不平等への回答としての教育
    • ベスト・アンド・ブライテスト
    • 行うのが賢明なこと
    • 他人を見下すエリート
    • 学位による統治
    • 学歴による分断
    • テクノクラート的な語り
    • テクノクラシーvsデモクラシー
    • 気候変動について議論すること
  • 第5章成功の倫理学
    • 能力主義 VS 貴族社会
    • 能力主義のダークサイド
    • 能力主義再考
    • 完全な能力主義は正義にかなうか
    • われわれは自分の才能に値するか
    • 努力する人は価値があるか
    • 能力主義に代わる二つの考え方
    • 功績を拒否する
    • 市場と功績
    • 市場価値VS道徳的価値
    • 値する?それとも資格がある?
    • 成功に対する態度
    • 機会と選択
    • 才能の価値を守る
    • 能力主義の興隆
  • 第6章選別装置
    • ジェームズコナントの能力主義クーデター
    • 能力の専制を暗示するもの
    • コナントが残した能力主義の遺産
    • SAT の得点は富に比例する
    • 能力主義が不平等を固定する
    • 名門大学が社会的移動を推進するエンジンにならないのはなぜか
    • 能力主義をより公平にする
    • 選別と社会的評価の分配
    • 傷ついた勝者
    • 輪くぐりは終わらない
    • おごりと屈辱
    • 適格者のくじ引き
    • 選別装置を解体する
    • 評価のヒエラルキー
    • 能力のおごりをくじく
  • 第7章労働を承認する
    • 労働の尊厳をむしばむ
    • 絶望死
    • 怒りの源
    • 労働の尊厳を回復する
    • 承認としての労働
    • 貢献的正義
    • 労働の尊厳について議論する
    • つくるものと受け取るもの
  • 結論ー能力と共通善
    • 機会の平等超えて
    • 民主主義と謙虚さ

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