『ディスタンクシオン(100分de名著)』の書評とサクッと要約|趣味には傾向性がある

『ディスタンクシオン(100分de名著)』 Amazonほしい物リスト2021
ディスタンクシオン(100分de名著)岸政彦 監修

ブルデューの『ディスタンクシオン』を100分de名著でこなしました!大学生のころ、何だったかの授業でブルデューを学んだのを覚えていまして、ディスタンクシオンはずっと私の頭のなかに住み続けていました。

ただとてもじゃないですが『ディスタンクシオン』そのものを読み解くことはできず、100分de名著に頼らざるを得ませんでした…。フランスの知識人の間では、自分の知識を主張し合うように、意図的に難解に書かれているそうで、ブルデューもまたその世界の中で戦ったということでしょうかねー。

大学の時の話に戻りますと、そのときは中国の科挙制度の話がありました。

実際に『ディスタンクシオン』に書かれていたかどうかはさっぱり覚えていないのですが、大学の授業では、「科挙に合格できる人というのは、そもそも家柄が科挙に対応できる環境を持っていないと難しい」というものでした。

科挙に合格するには、ひたすら勉強と志を育むこと。後半になると四書五行の暗記が重要となり、それをこなすには勉強に膨大な時間を使える人に限られてきます。庶民は子どもの頃から働かなくてはなりませんから、必然とお金持ちに限られてくるわけです。

つまり、エリートの再生産

その言葉は講義を聴いていた時にも、すごく納得感をもちました。エリートの再生産という言葉は、その逆も然り。資本主義になってこの再生産される構造は格差となって目立ち始めていますが、封建制の時台であっても変わらない、社会の真理の1つだなとも感じます。医者の子どもは医者になる的な。政治家の子どもは政治家になる的な…ね。昔で言えば、殿上人には殿上人の子どもしかなれなかったわけで。

そういえば、どこかの大学は国籍や人種で学生が区別されているのではなく、実は所得のほうが重要だったという調査があった気がします。嘘だったらすんません…探しておきます。

そこそこブルデューが語れるレベルには行ける気がしますね。『古事記』や『相対性理論』なども読みましたが、浅~く知識を知るなら、100分de名著はいいですね~。かなりわかりやすく解説してくれてますよね。

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本の概要と要約

ディスタンクシオン
ディスタンクシオンとは

内容
・ピエールブルデュー
 ーフランスから独立をはかったアルジェリアに出征
 ーインテリが実態も知らずに革命を称える姿に疑問
 ーブルデューの社会学は、全体を見て、参与観察を重視
・ディスタンクシオンとは
 ー趣味とは何か、文化とは何か?という問い
 ー好きで選んだはずが、実は個人の好みは集めてみるとパターン通り
 ー共通性が生まれる理由を膨大な調査と強力な理論で解き明かした
 ーハビトゥス、界、文化資本という概念で説明

ディスタンクシオンの要約
私たちの趣味は規定されている
ディスタンクシオンの要約
誰もがハビトゥスを持つ

・趣味とは
 ー学歴と出身階層によって規定されている
・ハビトゥス
 ー傾向性、性向
 ー人はハビトゥスに動かされ好き嫌いが生まれる
 ー趣味の出会いには前提、歴史がある
 ー意図することなく無意識に選択や評価をしている
・界
 ー私たちが参加しているゲーム、空間
 ーゲームとは、象徴闘争
  ー私はこれが好きがあれば、嫌いがある
  ー他者からの評価で自分が勝てるように持って行こうとする
 ー例えば学校という世界
  ースクールカースト
  ースポーツで一番な人、サブカルが得意、勉強が得意…
  ーそれぞれの文化資本とハビトゥスで利得を得ようと戦う
・文化資本
 ー金銭以外の資本
 ー文化、教養、学歴、慣習、美的性向…
 ー家庭と学校で身につける
  ー正確には家庭と学校で身につける同じ資本も内容が異なる
  ー知識は一緒だけど、家で自然に得るのと学ぶのとでは違う
 ー文化資本はすぐ役立たなくても投資、蓄積され、利得をもたらす
・ハビトゥスを持たない者はいない
 ー自分の信じる規範や価値観に従って懸命に生きている
 ー持っている文化資本とハビトゥスをもって、それぞれの界で少しでも利得を得ようとする
 ーなので、私にとっての非合理が他人にとっては合理的なこともある
  ーホームレスが福祉施設に入らない
  ーヤンキーの世界で生き続ける
  ーマニラのローカルボクサーが日の目を浴びないけど過酷な減量をする
 ー社会には複数の合理性が存在する

著者:ピエール・ブルデューとは

ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu、1930-2002)は、社会学者。社会の権力関係と不平等の構造その背景にある思考と行動パターンを明らかにした。ディスタンクシオンでは人々の趣味と好き嫌いをハビトゥス、界、文化資本などの概念を使って分析した。

1950年代、フランスからの独立を掲げたアルジェリアに出征。その地で大学に勤め、パリ大学助手、リール大学助教授を歴任。1964年にはフランスの最高学府である社会科学高等研究院の教授に就任。地方の農村部からパリに出て最高学府の最高権威に上り詰めた。

アルジェリア出征に、ジャン=ポール・サルトルなどの哲学者をはじめとした知識人が、アルジェリアの独立を支持し、革命や抵抗を讃えるような文章を書いたことに違和感を覚えていた。日々、凄惨な戦いが繰り広げられているのに、知識人たちが実態を全く知らずに高みから民衆を支持すると言っている事に反旗を翻した。

ブルデューは庶民階級の出身であったため、上流階級で苦労もなく大学に行き教授になったような人に比べ、階級構造に対する意識を強く持っていた。こうした背景がブルデューのハビトゥスとなり、ディスタンクシオンを書くように動かされたのかもしれない。

監修:岸政彦とは

社会学者、立命館大学大学院教授。1967年生まれ。社会学者。専門は沖縄、生活史、社会調査方法論。著書に『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』(勁草書房)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社)、『はじめての沖縄』(新曜社よりみちパン!セ)、『マンゴーと手榴弾――生活史の理論』(勁草書房)など。近年は小説の執筆にも取り組んでおり、「ビニール傘」が芥川賞・三島賞候補、「図書室」が三島賞候補となった。

●公式
公式サイト:SOCIOLOGBOOK 岸政彦のBlog
Twitter:岸政彦@sociologbook

●インタビュー
ゲスト/岸 政彦さん◇書店員が気になった本!の著者と本のテーマについて語りまくって日々のモヤモヤを解きほぐしながらこれからの生き方と社会について考える対談(小説丸 2021.12.27)
(インタビュー)本土から聞き続ける沖縄 社会学者・岸政彦さん(朝日新聞デジタル 2022.2.2)

本の解説と感想

ディスタンクシオン

芸術作品に自然に出会うということそれ自体が幻想

『ディスタンクシオン(100分de名著)』p20

ディスタンクシオンは卓越性と訳されます。ディスタンクシオンが問いかけ、紐解いているのは「趣味とは何か」で、突き詰めれば「自由とは何か」という問いにもなる。

わたしやあなたが好き好んでいる趣味は、電撃的な出会いでいきなり唐突に好きになったのでしょうか。ブルデューは個人の好みというものは、集めてみるとパターンがあるというのです。

少し考えてみると、国や地域ごとに文化が異なり、好みが異なりそうだと言うことに気が付くのではないでしょうか。出身国で比べてみると、例えば日本人とブラジル人とでは、まるで趣味が違いそうです(もちろん大きな枠組みでの話です)。

このような、趣味や文化の受け取り方に、ある共通性のようなものが生まれてしまうその理由を、膨大な調査と強力な理論によって解き明かしたのがディスタンクシオン。大前提として、ディスタンクシオンは、自分の好みやライフスタイルがたまたま出会ったを否定するところから始まります。

例えば、あなたが芸術作品の素晴らしさを受容できるのも、芸術というものがあるという認識や、その知識など、出会いの前提となるものを、「家庭」や「学校」から学んできたから。言い換えれば芸術と出会うための「遺産」があるからです。

ハビトゥス

人間は有限の規則から無限の行為を引き出す

『ディスタンクシオン(100分de名著)』p34

「ハビトゥス」とは、傾向性、性向と訳されています。

私たちが、何かを好きになる・嫌いになるという価値判断や行為には、傾向性というものが存在して、それに動かされて趣味を選んでいます。

あなたが、演歌ではなくジャズを好み、フットサルではなく散歩を好むのは、すべてこの傾向性(すなわちハビトゥス)があるからです。あなたがその趣味を好んだのは、あなたの歴史的・身体的に必然であり、意図することなく無意識に選択や評価を下しているのです。

とはいえ、ブルデューは因果関係があるとは考えているわけではありません。その人ごとの規則(傾向性)に基づいて無限に選択を引き出しているということです。

例えば、ピアノを習っている子どもがいたとします。その子どもはお金持ちの家庭で、家にピアノがあり、芸術に触れる機会が他の人よりも多く、知識が自然に吸収できる環境にあったとします。そうすると、自然と芸術に関する前知識やそもそも芸術というものがあり、それらが社会でどのように評価されているのかを身につけていきます。

一方で、芸術というものに触れる機会が少ない世界で育った子どもは、いきなりアートを見たとしても感じようがありません。感じ取り方を知らないからです。

こうしてハビトゥスは、その人が住む世界と、社会において蓄積される経験により構築されていきます。ハビトゥスはある意味でその人の規範であり、人はその規範にのっとって無限に選択肢を広げていきます。

何かを「いいな」と思うことは、必ず他の何かを否定することでもある

『ディスタンクシオン(100分de名著)』p45

私たちが、何らかの利得を得ようとして参加している空間のことを界と呼びます。私たちはこの空間のなかで、お互いの文化資本やハビトゥスを武器として何らかのゲームに参加しているというのです。(本書では界を「ゲーム」とも表現しています)

ブルデューによれば、人々の行為には闘争が伴うのだとか。闘争というと荒っぽいイメージですが、簡単に言えば自分のポジションを築くためのマウントの取り合いのことです(象徴闘争)。

これはある意味、サピエンスの自然な行為で、自分が集団のなかで同一化を図りつつも優位性、差別化を図るための戦略です。自分のハビトゥスや文化資本を武器にして価値観の押し付け合戦をやっているのです。

例えば、あなたがある映画監督ポール・トーマス・アンダーソンを好きだと判断することは、必ず他者に対する卓越性(ディスタンクシオン)の動機が含まれているということになります。ある世界のなかで、他者からの評価や承認を得るためには、何らか自分が勝てるように持って行くしかないのです。

これは学校でも会社でも同じではないでしょうか。

中学校を思い出してみましょう。スポーツが得意な人はさらに動けるようにトレーニングするし、勉強ができるというイメージが出来上がった人は期待に応えるようさらに勉強する、サブカルチャーに詳しいという独特のキャラで人気を博そうと画策する人もいたでしょう。

学校も会社も象徴闘争の場に他なりません。わたしたちは実存をかけて、自分が自分であるために、ポジショニング争いをしているのです。

文化資本

文化資本とは、金銭的資本以外の資本です。文か、教養、学歴、慣習、美的性向など。ハビトゥスは傾向性で、個人の好みを分類しまたはされるものだとして、文化資本は、あくまでも「資本」です。

芸術を評価し感じ取る美的性向などは、生まれながら(分かりやすく言えば遺伝)に備わるものではなく個人の歴史によって形成されます。これは階級に大きく相関性があるそうです。

教養というものは、だいたいにおいてそれと気が付かないうちに習得されていくものです。家庭や学校で獲得していきます。

「勉強をする」という選択をするのは、あなたが勉強がもたらす便益の価値を予測できるからです。机に向かうことに違和感がないのです。しかし、これに違和感を持つ人もいます。

労働者階級の子どもたちは、自分たちの「界」にいる大人たちがマッチョな労働者文化で学歴が低く、浸漬にも勉強して成功したロールモデルがいないために勉強する意味が分からないとうことがあり得ます。

これは、勉強は平等にできるはずなのに、その人たちの自由意思で階級格差が再生産されている皮肉な現実に結びついていきます。

日本では東大生の親の年収の約60%が950万円以上。日本の全世帯で所得が1千万円以上の世帯は12%だから偏っていると言えるでしょう。世界の有名大学ではもっとエグい数字だった気がします…

まとめ

ディスタンクシオン(100分de名著)のテキスト
ディスタンクシオン(100分de名著)

今回、100分de名著で端的に解説されていただけなので、ブルデューとディスタンクシオンについてかじっただけ…という感じになりました。分かりやすく解説してくれるのはありがたい。

傾向性や象徴闘争と言った整理は、人がなぜその行動をするのかという問いへの明確なアンサーだなと思いました。といいますか『サピエンス全史』とか、ここ最近読んだ心理学系の本は、ディスタンクシオンの要素たくさんあります。いろいろな点で結びつきます。

それにしてもですが。「界」のなかでの象徴闘争は、人間の生き残りをかけた生存と生殖の可能性を高める方法のひとつですがある範囲を超えると戦争を起こすという選択にもなってしまうし、「文化資本」というのは資本主義社会のなかにおいては、格差を広げる影響をもたらしている。面白いなと思う一方で、なんだか虚しさも感じなくもないですね。

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