「コンパッション」という言葉は、「セルフコンパッション」というタイトルの本が複数あったりと聞いたことはあったものの、何を指す概念なのかは全く知らずな状態でした。版元の英治出版は、『insight(インサイト)』や『ティール組織』だったり、海外の研究者が発信しているキャッチーな理論であったり概念をわかりやすく編集してくれる、ユニークな出版社。『Compassion(コンパッション)』でも、著者が禅僧でかつハーバード大学の名誉研究員という背景を持たれている方であるためかなかなか理解しにくい言葉などあるものの、全体像はつかみやすい。
この本で大変ありがたかったのは、全部読まずとも、付録の基本概念図がすべてを表している素晴らしい状態になっていること…
久々に400ページある本で、かつ難易度が高そうなテーマだったのでなかなか苦労しそうと思いましたが、この道しるべがあるだけ全体感把握できたので助かりました。しかも構成が整っていたので、どんな内容が書かれているのか予想がしやすく非常に読みやすかったです。
さて本書ですが、「共感しすぎ」とか「燃え尽き」とか、人や仕事へ向き合いすぎるがあまり、身を削ってしまう状態についての研究がまとめられてます。役に立ちたいという思いはとても大切だけど、踏み込みすぎるとまずいので、それをコントロールする力である「コンパッション」を育てましょう、という内容。
コンパッション=共にいる力。
このように訳されてはいますが、最後まで自分のなかでコンパッション=○○という咀嚼ができないままでいます。なんとなく、他者との関係性をつくる情緒的な要素であり、その自分と他者との関係において自己を犠牲にしすぎる状態に気がつく力であり、もし行き過ぎて落ちたとしても立ち直るための力、という解釈をしています。
本当の意味ではないかもしれないけど、それって大事なことだなと思います。
本書では、他者に貢献したい、役に立ちたいと思ったときに活きる力を「エッジ(崖の縁)・ステート」と呼んでいて、「利他性」「共感」「誠実」「敬意」「関与」の5つの資質がそれ。
「崖」というのが絶妙な表現。どの資質もそのパワーで素晴らしい人間関係の構築ができたり、自分の人生の内面を豊かにすることができる、優れた効果をもたらします。一方で踏み込んではいけないところまで進んでしまうと、急転直下、突然まったく逆の状態になってしまう恐れがあります。
わたしも自身の経験から仕事において「関与」の行き過ぎで、大変強いショックを受けた経験があります。とはいえ行き過ぎとは言うものの、愛情を持たなければ果たせられないこともたくさんあるはず。実際にそれがモチベーションになっていて、それなりに成果を出していたと思います。
そんなモヤモヤがありつつ読み進めると、さすが仏教者の著者。ほとんどの人は崖から落ちるものだと述べていて安心させてくれます。そこから立ち直ることができるのもまたコンパッションのなせる業だそうです。踏み外してから回復すれば、さらに強くなりますよね。陶磁器が割れたときの修復法である、金継ぎの話も出てきました。一度壊れてしまったものを、あえてその割れたことを隠さずに克服した存在として価値を見出すことに美しさがあるという。
話は少し飛びますが『キングダム59巻』で李牧が燃え尽き気味な状態ではありましたが、回復する力(レジリエンス)をもってまた復活した姿を見せてくれるのかもしれません。
そういえば『1兆ドルコーチ』でも、成功するギバー(与える人)は自己防衛的で、小さい負担で大きな影響を及ぼすとされていたところとリンクします。いったいどういうときに自分が崖の縁に立たされている状態なのか、その危険信号は何なのか、崖から落ちてさらに沼にはまらないにはどうすればいいのか、本書はそうしたヒントがまとめられています。
サマライズ(本の概要と要約)
著者の課題
相手やチームのための、利他性・共感・誠実さ・敬意・関与という心の財産は、人間の内面と人間関係を豊かにするために必要だが、自分を犠牲にしてしまう二面性を持つ。
解決方法
どんな状況でも飲み込まれない、ときにはNO!と言え、自分や相手と「共にいる力=コンパッション」を理解し、育み、実践していく。
内容
内面や人間関係における5つの資質「エッジ(崖の淵)ステート」には、利他性・共感・誠実・敬意・関与がある。これらのレンズを通せば、広大な景色をの図むことができるが、がけは垂直に反り立っていて、足を踏み外して真っ逆さまに落ちていくのを止められない。
コンパッションによって、崖の縁でとどまり、落ちたとしても健全に立ち直ることができる。
・コンパッションとは
ー「役に立ちたい」という純粋な思い。
ー共にいる力
・利他性(⇔病的な利他性
ー利他性とは、見返りを求めない行為。
ー相手にとって害となることもある
-依存してしまう場合
-相手が必要としていない場合
ー代償として自己を犠牲にする
ー対策として、知ったふりをしない、ありのままを見届ける、慈悲に満ちた行為をとる
・共感(⇔共感疲労)
ー共感とは他者の内面を知ること
ー一体化しすぎると鏡映しのように苦しくなり共感疲労に陥る
ー対策として自分と他人は違うものだと区別する
・誠実(⇔道徳的苦しみ)
ー誠実さは自分が信じている価値観
ーそぐわない行為をさせられたり、目撃すると道徳的苦しみとなる
ー対策として瞑想により自分だけでなく、他人(迫害者や被害者)についても深くみつめる
・敬意(⇔軽蔑)
ー敬意は関係性に不可欠
ー自分と異質なものがいるとすぐに蔑む
ー抑圧された人が助長させることもある
ー対策として感謝する
・関与(⇔燃え尽き)
ー仕事は人生の質を高める
ー無効力感を感じると燃え尽きてしまう
ー対策として、立ち止まって休み、なぜ頑張ってしまうのかを自問する
コンパッションとは
コンパッションの解釈は難しいものの、以下のように定義されています。
コンパッションとは、人が生まれつき持つ「自分や相手を深く理解し、役な立ちたい」という純粋な思い。自分自身や相手と「共にいる」力。
『Compassion(コンパッション)』p31
「思い」という情緒的なものであり、能力。人間か他者と関係性を築くために重要な5つの資質を内包し、それらの資質は育てていくことができるものです。5つの資質とは、利他性、共感、誠実、敬意、関与です。
著者
著者はジョアン・ハリファックス氏です。社会活動家、人類学者であり、仏教指導者、禅の僧侶。毎年100名もの医療キャラバンを率いて、数十日間ネパールの標高5千メートルにも至る崖道を歩いて医療と資材を届ける活動を行い、グーグルやアップル本社をはじめ、世界中で精力的に講演活動をしている。女性。
TEDでのプレゼンテーションもありましたのでご参考ください。
また、日本では一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュートという本書を監訳した団体がコンパッションの実践のためのプログラム「AWARE」というのを提供しているそうです。
本の解説と感想
エッジ・ステート
本書のキーワードになるのがエッジ・ステート。人生を豊かにするための5つの資質として語られます。直訳すると「崖の縁の状態」です。この比喩表現は素晴らしく、自分自身の内面や他者との関係性を構築していくための価値観であり、遠くまで見渡すことはできるけど、下を見ずに進んでいると一歩間違えればと崖から転落しかねない状態というもの。
コンパッションと勇気に満ちた人生の秘訣として、内面や対人関係における五つの資質に気づきました。(中略)この貴重な資源は質が低下すると害となる危険な景色となって現れてきます。この表裏となる二面性を持つ資質をエッジ・ステートと私は呼んでいます。30
『Compassion(コンパッション)』p30
5つの資質(利他性、共感、誠実、敬意、関与)は、コンパッションが定義するところの「役に立ちたい」という純粋な思いで大切なんだけど、崖の縁に立っているようなものだから、落ちないように気をつけよう、ということですね。
利他性と病的な利他性
利他とはなんでしょうか。利他性とは、他者の幸福を高めようとする行為で、純粋な利他性というのは、相手からの見返りも、社会的承認や認知も求めないものです。しかし、自分の幸せを代償としてしまう可能性があります
例えば、小さな子供が車に気付かず道路に出ようとするのを、ただ駆けつけて子供を抱え出すという行為。それによって自分を称賛するものではないですし、単なる寛大さを超え、自己犠牲や危険を伴ったりしまう。
自然に湧き出る思いではありますが、それが義務感や義理や恐れになったり、助けることに疲れ切ったりすると人は否定的な感情に揺さぶられたりします。手のかかる生徒の面倒をみるのに、時間がかかりすぎて自分に腹が立つ…など。これが病的な利他性で、このような利他性の害というのはいくつかあります。
他者の幸福を高めようと意図された行為でありながら、それがむしろ害になることか、外部から見て予測しやすい行為
『Compassion(コンパッション)』p64
例えば、相手に迷惑になるおせっかいのようなもの。著者の経験として、入院していたとき人に会うのも辛かったのに、見舞い客が親切に時間を作って来てくれて、それを迎えるのに疲れ果てたそうです。相手の身になって考えられなかった。
ほかにも、相手にとってためにならない支援・援助というのもあります。例えば海外支援でお金だけを渡すというのは、相手がそれに依存してしまうので、本当は自力で職業につける教育支援のほうがいいのに、何の解決にもならない。また、引きこもりの子供に親が部屋をあてがうと、結果として親の経済負担がつらくなり苛立つようになり、子供もいつまでも楽ができてしまう場所があるので自立しない、など。
利他性を育むには、以下の3つの心構えをしておくというアドバイスがあります。
1.知ったつもりにならない
2.ありのままを見届ける
3.慈悲に満ちた行為
「知ったつもりにならない」とは、固定観念を捨てるということ。
「ありのままを見届ける」というのは、あらゆる惨事にも平常時にも全身全霊で関わること。手と心を開いた状態で共にいること。
「慈悲に満ちた行為」とは、先の2つによって生まれる。相応しいあり方で応じるということ。
何よりも、わたしたちは苦しんでいるその人自身にはなれない、と心に留めておくことが重要ではないでしょうか。
共感と共感疲労
共感は、ありがたい恩恵と迷惑な侵入的介入のはざまに、いつも不安定に腰かけている。
『Compassion(コンパッション)』p147(共感が試されるとき レスリー・ジェイミソン)
なんか格言っぽい。気に入りました。
共感とは、他者の内面から感じること、と定義されています。同じように思う、感じる、そういうものですね。
対してコンパッションもちょっと似ているようですが、コンパッションは「他者のために感じること」だそうです。そのような違いがあるため、共感が良好な状態であるためには、度を越さないよう適度に保つさたなければならないのに対し、コンパッションは過剰になることはないということ。よって、コンパッションによる疲労というものはなく、それは「共感疲労」だとしています。(難しい…)
共感には、3種類あるそうです。
1.身体的共感(他人が殴打されたのを見て、自分も「痛い!」と身体を歪める)
2.情緒的共感(他人の感情を自分ごとのようにする)
3.認知的共感(自分の意識から他人の視点を取り込む)
それぞれは、人を思いやったりするときに必要な資質ではあります。しかし身体的共感は、他者を理解しケアするときの手段となるが、度が過ぎると苦痛に自らが脅かされる恐怖を感じることになるし、情緒的共感は、共感疲労や燃え尽きの原因となり引きこもりや無関心きつながるし、認知的共感は、極端に他者視点を取り入れると自分自身の視点を失ってしまい善悪の判断もできなくなってしまう。
このように共感は、苦しむ人との一体化があまりに強いと、自分の感情によって、援助さている相手の苦痛を鏡映しにしたような共感疲労という苦悩へと突き落とされてしまうのです。相手の苦しみに自分が呑み込まれてしまうと、共感披露によって私たちは無感覚になり、背負いきれないほどの苦しみから自分を守ろうとして相手を見捨てることにもなりかねません。
共感疲労に陥らないためには、自分と他者の境界をはっきりさせることだというアドバイスがあります。
他者と一体になることと、他者と自分を区別すること、両方が重要なのです
『Compassion(コンパッション)』p144
また、病的な利他性の対処法でも語られていた「知ったつもりにならない」という戒めから、他者の経験と真にひとつにはなれないと気づくことで、共感的反応をうまく調整していくことができると述べています。「どこまで行ってもあなたにはなれない」という線引きと謙虚さを持つということが大切ですね。
誠実と道徳的苦しみ
これは常に隣合わせにいる実感があります。自分が考える正しさとは裏腹に、そうではない行為をさせられることで、苦しみに陥るということです。会社員には多いかもしれません。そうして会社を去るという方もまた。
こうした苦しみがあるのはなぜか、本書ではこう述べられています。
道徳的に苦しむのはら私たちに誠実さと良心があるからです。他者によって、あるいは自分自身によって誠実さと良心が侵されたときに、感じる痛みなのです。
『Compassion(コンパッション)』p170
さらに、
自分の言動や行動を価値観と一致させていられるとき、人は誠実さの高い崖の上に立っていられます。しかし、信じている価値観にそぐわない行動をせざるを得ないときら道徳的苦しみへと崖を踏みはずしてしまいます
『Compassion(コンパッション)』p170
誠実であろうとする心(自らの価値観のもとの道徳・倫理原則・行動規範)というのは誰しもが持っていると思います。これがあることによって、その行動規範に則って行動できるうちは自分の内面を豊かにすることは容易に想像できます。しかし、意図せず危機に直面し道徳的苦しみに相対することは多いです。
道徳的苦しみには4種類あるとしています。
1.道徳的葛藤(問題があると思っても制約により全うできない)
2.道徳心の損傷(道徳から外れる行為を目撃・関与しての心的傷)
3.道徳的な憤り(社会規範に反する者への怒りと嫌悪)
4.道徳への無関心(もはや何も知ろうとしたくない)
道徳的苦しみへの対処のため、誠実さを育むためには、自分の心だけではなく「苦しむ人」「害を与える人」の心にまで目を向け深く観察することと述べられています。
このあたりが仏教の指導者たる著者の説法のようなものなのでしょうが、わたしの見識の浅さからあまり理解ができなかったポイントになります…
わたしの場合、誠実の崖から落ちることがかなり多いと思います。踏みとどまれることのほうが正直少ない。この章でも述べられているところの大事な点として「回復力(レジリエンス)」があり、いかにこれを前向きに考えていられるかが自分の気の持ちようとして必要だと考えています。
道徳的苦しみを、道徳心の回復力(レジリエンス)へと変容させることが求められる。(中略)道徳的な難題、混乱、葛藤、挫折が起こったときに、誠実さを維持し修復するための、人間の能力。
『Compassion(コンパッション)』p225
冒頭でも書きましたが、日本にある陶磁器の伝統的修復法「金継ぎ」は、割れた陶磁器を漆で接着するもので、破損したという過去を物語たりとしていることで美しさであり強さを表現しています。
金継ぎの心というのは、ひとつ勉強になりました。
敬意と軽蔑
敬意を払われていると感じるときは大切にされ、見守られている気がします
『Compassion(コンパッション)』p230
一方で、
他者から軽蔑され人間性が否定されると、人は貶められ、力を奪われ、気持ちをくじかれたと感じます。
『Compassion(コンパッション)』p231
このように他者を敬うことと蔑むことは正反対の行為であり効用をもたらします。エッジステートのなかでもギャップの大きい資質なのではないでしょうか。
敬意というのは、人間関係の基礎だと思います。見ず知らずの人に声をかけるときも敬意をもって接しますし、友人や職場の仲間とのコミュニケーションにもそれが不可欠です。
敬意には3つの側面があるとされています。
1.他者への敬意
2.原則への敬意
3.自らへの敬意
「他者への敬意」は、相手の存在価値やその真価を認めることで、これが敬意のベース。
「原則への敬意」は、「これは、あれのおかげ」という因果を認識することです。著者は仏教者らしく描かれていたのは、知人がステーキを食べるとき、動物の苦しみや、家畜産業が気候変動に影響する因果関係をきにしてしまうというところ。
「自らへの敬意」は、自分自身の人生に積極的に責任を持つ気持ちや気質です。
こうした敬意もいともたやすく無意識に踏み外れることがあります。軽蔑へと落ちるのです。わたしたちは手にとまった虫をなんの考えもなく潰します。動物の肉を食べます。道を歩き、たまにホームレスいると避けることもあるし、心ない嫌悪や軽蔑の目を向けてしまいます。友人たちと食事をしながら手元のデジタル機器に心を奪われる、自分たちと異質な者がいるとすぐ蔑んで虐げます。
困ったことにこの関係性のパワーは一方的なものではなく、抑圧された人たちが助長されることもあるというのです。例えば女性は男性よりも弱いというステレオタイプは、当の女性たちが無意識のうちに男性に服従している場合、助長させることになります。
敬意のエッジ・ステートの育成と理解の強化で興味深かったのが「三角形ドラマ」という手法。ここで書くとなかなか難しいのですが、「迫害者」「犠牲者」「救済者」の三役を配置し演じさせると、救済者が犠牲者を疎ましく思うようになったり、それにより犠牲者が救済者を逆恨みして迫害者になる…というもの。このドラマを通すことで、自分自身だけではなく、迫害者や犠牲者の苦しみと過ちに対して触れることができ、自分自身に向けた心の抑圧に対してもみつめることができます。
結果、自分への敬意をしっかりと保つことで、他者を蔑み貶めるようなことはなくなっていくのではないでしょうか。
関与と燃え尽き
「関与」と「燃え尽き」については、自身の経験もありますけど、直近で読んだキングダム59巻の李牧が頭をよぎりました…つまり燃え尽きとは以下のように述べられてます。
関与とは、仕事や他者への支援に対する健全な関係を意味する。一方で、燃え尽きは職務との不健全な関係による疲弊と意欲喪失。
『Compassion(コンパッション)』p292.293
仕事って人生の大半を占めます。それによって心が満たされ、経済的なリターンもあります。なので仕事は人生の質を高めるのは間違いないと思います。ですがそのような関係性である以上は必然依存状態になりますので、ここへの関与度合いが強ければアドレナリンが溢れ、さらに依存していきます。
依存しすぎの状態は、超過勤務や耐え難い状況に置かれ、精神的に報われることもあまりに少ない、自分が努力しても他者に影響をもたらすと思えないといった要因があると、私たちは持続力の限界まで追い込まれます。これがよく言われる「燃え尽き=バーンアウト症候群」です。
ここに陥らないためには、やはり自分と他者(組織)との切り分けを知るということなんだと思います。
職務と自らの結びつき、目的意識、献身的な気持ちと溢れる真心、信念と喜び、これらを仕事に注ぐことができれば、健全な関与の崖に立てる
『Compassion(コンパッション)』p302
バランスが難しいですよね。関与度合いが低いと、組織では「チーム」として高いパフォーマンスを出そうとすることは苦しいでしょう。どうしたら関与度合いが強く、燃え尽きないようになるのでしょうか。
燃え尽きやすい人たちの特徴には3つあるそうです。
1.情緒的消耗(医療や福祉など情緒的対応が求められる人に多い)
2.冷笑主義(若者など理想主義的な傾向が強い人に多い)
3.無効力感(最善の努力にも関わらず失敗するとき)
個人的には「無効力感」について強く危うさを感じます。仕事が完全に自分のアイデンティティと化していた場合、何も影響を与えられなかった、何の意味もなかった、むしろ非難・批判されでもしたら、心が瓦解してしまいます。
著者はこれまでのエッジ・ステート同様、「燃え尽き」を防ぐことについて言及されているのですが、これについては禅僧ということもあり、瞑想・マインドフルネスのようなことなのかな?という解釈をしています。「ただニンジンを刻むという実践」だそうです。
ニンジンの話はたとえ話なのですが、禅を学ぶ人たちが調理当番をするときに、ニンジンを刻むという話から来ています。できるだけ早く処理しようということではなく、ニンジンを刻むというこの行為が他者に奉仕しているという心を育み、包丁を感じ、食事を摂る人に思いをはせ、食材の農家まで一体となって結びついてく、そんな生活の営みのなかで瞑想をしていくことだそうです。
ニンジンを刻むという行為に集中するのではなく、その行為を通して自分の存在を確かめるということなのでしょうか。
まとめ
「コンパッション」の意味自体はやっぱり掴めていないですが、5つのエッジ・ステートが持つ二面性への納得度は高く、その構造への理解もとても進み、学びになりました。本にも書かれている通り、完全にそれぞれが分解された要素ではなく重なったところも多くあるなという印象。
他者の役に立ちたいという献身は、自己を犠牲にしてしまうことがつきまといます。フロムの『愛するということ』は、愛とは与えること、他者を愛することを通して自分も愛する全体性ということを考えさせられるものですが、自分が受け入れられる限界を理解し、他者との関係性においても一線を引く客観さを持ち合わせることもとても大事だなと思いました。
本の目次
- 第1章 利他性
- 1.利他性の崖にて
- 利己か他己か
- 己を忘れて
- 2.利他の崖を踏み外すとき―病的な利他性
- 害となる援助
- 健全か否か
- 燃えゆく蓮華
- 利他性のバイアス
- 3.利他性と他のエッジステート
- 4.利他性を育む
- 知ったつもりにならない
- ありのままを見届ける
- 慈悲に満ちた行為
- 5.利他性の崖で見出すもの
- 木の操り人形、傷ついた癒し手
- 愛
- 1.利他性の崖にて
- 第2章 共感
- 1.共感の崖にて
- 身体的共感
- 情動的共感
- 認知的共感
- ひざまずけ
- 通身これ手眼
- 2.共感の崖を踏み外すとき―共感疲労
- 共感とコンパッションの違い
- 行き過ぎた共感反応
- 感情の鈍化と盲目化
- 親切か余計なお世話か
- 3.共感と他のエッジステート
- 4.共感を育む
- 傾聴
- 共感を適切に導く
- 人間性の回復に向けて
- 5.共感の崖で見出すもの
- 1.共感の崖にて
- 第3章 誠実
- 1.誠実さの崖にて
- 道徳的胆力と、徹底的な現実主義
- 誓いに従って生きる
- 2.誠実さの崖を踏み外すとき―道徳的苦しみ
- 道徳的葛藤
- 道徳心の損傷による苦しみ
- 道徳的な憤りによる怒りと嫌悪
- 道徳への無関心と心の死
- 3.誠実さと他のエッジステート
- 4.誠実さをを育む
- 探求の輪を広げる
- 五つの誓い
- 感謝の実践
- 5.誠実さの崖で見出すもの
- 1.誠実さの崖にて
- 第4章 敬意
- 1.敬意の崖にて
- 他者への敬意、原則への敬意、自らへの敬意
- 両手を合わせて
- 他者の足を洗う
- 水こそ命
- 2.敬意の崖を踏み外すとき―軽蔑
- いじめ
- 水平方向の敵意
- 内面化された抑圧
- 垂直方向の暴力
- 分かち合う力、支配する力
- 奪われた尊厳
- アングリマーラ
- 因果関係
- 3.敬意と他のエッジステート
- 4.敬意を育む
- 三角形ドラマ
- 正しく話すための五つの鍵
- 自己と他者の入れかえ
- 5.敬意の崖で見出すもの
- 1.敬意の崖にて
- 第5章 関与
- 1.関与の崖にて
- 活力、意気込み、自己効力感
- 忙しさがもたらすもの
- 2.関与の崖を踏み外すとき―燃え尽き
- 燃え尽きやすいのは誰か
- 忙しさへの依存
- 仕事のストレスという毒
- 3.関与と他のエッジステート
- 4.関与を育む
- 作務
- 正命の実践
- 無為なる練習
- 5.関与の崖で見出すもの
- 遊びの大切さ
- つながり
- 1.関与の崖にて
- 第6章 崖でのコンパッション
- 1.最も思いやり深い者が生き残る
- 科学とコンパッション
- 2.コンパッションの三つのあり方
- 対象を意図したコンパッション
- 洞察に基づくコンパッション
- 対象を持たないコンパッション
- 3.六波羅蜜
- 4.コンパッションを妨げるもの
- コンパッションと数の関係
- コンパッションとその谷間で
- 5.コンパッションの地図
- コンパッションはこんぱっ所に害の要素から生まれる
- 6.コンパッションの実践
- GRACEの実践
- 7.死と接する場でのコンパッション
- 地獄からの救済
- 魔境
- 1.最も思いやり深い者が生き残る